こんにちは。やまもとです。
信頼の心理学研究で、山岸俊男は人に対する信頼を弁別していき「信頼の構造」を明らかにしました。この研究は、マーケティング観点でも、人的なサービス提供やBtoBにおける営業などの場面で重要になると思います。一方、マーケティング観点では製品に対する信頼も重要です。しかし、製品への信頼は人への信頼と同じ構造になるとは限りません。そこで、製品への信頼の構造を考えてみたいと思います。ただし、この記事は個人的な考えなので、参考までにとどめた方がいいかもしれません。
目次
言葉と範囲の定義
初めに、言葉に混乱すると思いますので言葉の定義をしておきます。この記事では、山岸に従って、信頼性を「信頼される側の特性」、信頼を「信頼する側の特性」とします。また、山岸が扱っていたのは人の信頼性(trustworthiness)ですが、ここではモノの信頼性(reliability)について考えます。一方、信頼(trust)は、対象が人であれモノであれ人が信頼するので、特に区別はしません。
また、議論をシンプルにするために、純粋に製品(モノ)を購入する場合だけを考えることにします。BtoBビジネスは、営業との信頼関係が重要ですから、人の信頼性を考える必要があるため除外します。また、人によるサービスも、サービス提供者(人)への信頼が必要になるため除外します。それでも、人が製品を購入するのはさまざまな理由があります。
人が購買に至るまでの内面的変化は、ニーズ→欲求→需要というのが基本的なプロセスですが、実際にはニーズ→欲求→期待→需要と考えた方がいいと思います。なぜなら、仮に懐に余裕があったとしても、製品を買うかどうかは知覚している価値と価格を比較するからです。”価格>価値”の場合は高すぎると判断して購入せず、”価格<価値”の場合はお得だと判断して購入することでしょう。ただし、ここでいう価値とは、購入前に感じる価値なので、購入前の期待として知覚されるはずです。そのため、「期待」のフェーズが必要と考えました。
このプロセスの中で、信頼が必要になるのは欲求→期待のプロセスです。そのため、欲求が期待に変わる理由を考えてみます。ブランド・ビルディング・ブロック(あるいは、ブランド・ビルディング・ピラミッド)によれば、購入者が製品を検討する段階のブロックは、合理的な判断を行うブランド・ジャッジメント・ブロックと、情緒的な判断を行うブランド・フィーリング・ブロックに分けることができます。前者は「信用」が主な購買理由になるのに対し、後者は「好き」「社会的承認」「自尊心」などが主な購買理由になります。後者の「好き」「社会的承認」「自尊心」は信頼とは異なる概念と考えられます。むしろ、その製品が好きで購入する場合、製品の信頼性など超越していて気にもしていないことでしょう。ここでは、信頼について考えるため、後者のような購買理由は除外し、ブランド・ジャッジメントが主な購買理由となる場合を考えます。
ブランド・ジャッジメントが購買理由の場合、購入前の期待は、製品の利用によって欲求が満たされると言う予測、つまり製品に効用があることへの期待となるでしょう。
スキーマ的秩序と因果的秩序への期待
一度、信頼の構造に立ち戻ると、もっとも大きく捉えた信頼とは「秩序への期待」です。秩序とは、整然としている様子を指すこともありますが、本質的には何らかの規則性によって予測可能で確実性のある状況ということができます。逆に、不規則で予測不可能で不確実性が高い状況は、混沌と呼ばれることになります。規則性があれば予測可能なのは、時間的・空間的に規則性を延長することで未来や未知の場所を推し量ることができるためです。規則性は、規則が存在することによって生まれます。信頼の構造では、人工的に作られた規則(法律、ルール、規範など)と非人工的に存在する規則(自然法則など)と分け、前者を道徳的秩序、後者を自然の秩序と名付けていました。
スキーマ的秩序への期待
もともと、道徳的秩序への期待は「人が社会の秩序を保つように行動することへの期待」を指し、そのために他人が法律や規則、あるいは規範(明文化されていないルール)を守るように行動するだろうという期待のことです。抽象化すると、社会を構成する人間としての役割を果たすように他人が行動することへの期待と考えることができます。すると、製品も社会を構成する要素の一つですから、製品の場合は、社会を構成する製品としての役割を果たすように製品が機能することへの期待と読み替えることができるでしょう。
例えば、掃除機は掃除をする役割を期待されていますし、冷蔵庫は冷蔵する役割を期待されています。言い換えると「掃除機が掃除機であること」「冷蔵庫が冷蔵庫であること」を私たちは無意識のうちに期待しています。このことは、人間の認知スタイルとしてスキーマ型の記憶を使っていると考えられます。つまり、無意識のうちに「掃除機とはこういうもの=掃除機スキーマ」「冷蔵庫とはこういうもの=冷蔵庫スキーマ」という概念に当て嵌めているのでしょう。既存のスキーマに適合すると、「この製品は掃除機である」という一種の予測可能性を生み出し、秩序を構成していると考えられます。もし、掃除機がゴミを吐き出したり、冷蔵庫が食べ物を温めたりしたら、掃除機や冷蔵庫を信用できなくなりますよね?そのため、これはスキーマ的秩序への期待ということができるのではないでしょうか。
なお、例えば、冷蔵庫スキーマであれば「冷蔵庫とは、電気を通す四角い大きな箱で、扉がついていて、中に食品を入れると冷やしてくれるもので、5年〜10年は使い続けられて、家に設置するもので、大きいから運送してくれるのは当たり前」といった便益の束を総合したイメージとして記憶されています。
因果的秩序への期待
一方で、自然の秩序への期待は、「明日も太陽は東から昇るだろう」といった「自然の変化が規則的であることへの期待」を指しています。ここでの規則性は、物理法則など科学的に明らかになっている事柄もあれば、経験則としてパターン化されているものもあるでしょう。製品の場合に置き換えて考えてみると、これは製品を使用したことで起こる変化が規則的であることへの期待と言うことができるのではないでしょうか。
例えば、経口の医薬品は、それを飲んだ時に効果があること、すなわち体調が改善すること(異常状態が正常状態へ変化すること)を期待しています。食品の場合は、空腹の状態が空腹が解消された状態に変化することを期待しているはずです。すなわち、規則的な変化を暗に期待しています。これらの規則性は、製品の「使用」と「効果」の間に因果性(使用→効果)を信じているからと考えられます。そのため、これは因果的秩序への期待と言うことができるのではないでしょうか。
時間軸を考えると、これら2つの期待は、スキーマ的秩序への期待が時間に依存しない「静」的な期待なのに対し、因果的秩序への期待は時間方向への「動」的な期待と言えるでしょう。この記事では、時間を経ても変わらない製品への信頼を議論しているので、動的な期待はいったん除外したいと思います。
品質に対する期待と機能に対する期待
次に、製品のスキーマ的秩序への期待の構成要素を考えてみたいと思います。
まず、製品スキーマは、「〜とはこういうもの」といった製品の全体的イメージのことでした。この全体的イメージにおける期待を考えるために、構成要素がシンプルな製品として「イスというもの」を考えてみましょう。ある特定の「イス」ではなく、「イスというもの」全体に対しての期待を考えます。
「イスというもの」に対して、私たちが「座れる」ことを期待していることは、おそらく異論は少ないと思います。そもそも、座れないのであれば、その製品をイスとして認識することができないのではないでしょう。そのため、「座れる」というのは、「イスというのもの」に共通した本質的な機能を表していると考えられます。従って、「イスというもの」に対しては「座れる」という本質的な機能に対する期待が内包されていると言えるでしょう。しかし、座れるモノは、花壇の縁だったり大きな石であっても構いません。つまり、「座れる」という機能だけでは「イスというもの」のイメージにはなりません。
実際のところ、「イスというもの」には「水平にした大きめの板に縦にした棒がいくつかついたもの」という形状のイメージが付随しています。また、人間が座れる程度のサイズというイメージも付随しています。例えば、手のひらサイズのイスも「イスというもの」ですが、「座れる」ことと両立しないため製品スキーマからは除外されることでしょう。そして、ある程度硬い素材でできていることも期待されているはずです。私たちは、柔らかい紙や粘土でできたイスのように、座っても潰れてしまうようなイスは期待していません。さらに、私たちは硬い素材であっても簡単には折れたり割れたりしないことも期待していることでしょう。「イスというもの」には、毎日買い換えたりせずある程度持続的に使えるもの、という期待があると思います。このように、「イスというもの」には、形状・サイズ・素材・持続性といった質への期待が含まれています。これらをまとめると、品質に対する期待が内包されていると言えるのではないでしょうか。
もちろん、ある特定の「イス」(例えば、ゲーミングチェア)を考えると、そのイス独自の機能や品質への期待(例えば、長時間座っていても疲れない)があることでしょう。しかし、「イスというもの」全般に対しては、機能への期待と品質への期待の2つに分けらえると考えて良さそうだと思います。
また、この2つの期待は、動き方のイメージである機能への期待は「動」的期待、物質的なイメージである品質への期待は「静」的期待と再び考えることができます。今回は、静的な期待に絞ろうと思うので、以降では機能への期待をいったん除外します。
品質に対する信頼と安心
例えば、ある特定のイスの場合、「イス」という以外に何も情報がなければ、そのイスの品質を信じることができるでしょうか?おそらく、大抵の人はサイズも硬さもデザインも分からないイスの品質を想像することはできないでしょう。つまり、品質は何らかの情報を信じることで知覚されていると考えられます。
しかし、その品質を知ろうにも、イスのように視覚や触覚で品質を容易に確かめることができる製品もあれば、ワインのように飲んでみるまで品質がよく分からない製品もあります。あるいは、コンピュータのように内部が複雑で品質が想像し難い製品もあります。このような品質が容易に想像できない製品の場合、消費者は購入前に様々な情報を処理した上で、「これなら購入しても大丈夫だろう」と信じることで購入行動に移ることが考えられます。つまり、購入行動に移る前には、情報処理を経て消費者の中には信頼が形成されていると見ることができます。
もちろん、このプロセスの購買行動はアサエルの購買行動類型のうち情報処理型をイメージしています。認知的不協和解消型も、購入を情報収集の一種と考えれば、製品の信頼形成の1つと考えることもできます。
ここで、ようやく「信頼の構造」における「信頼」と「安心」の区別が必要になってきます。「信頼の構造」では、簡単に言うと、信頼は「利害以外の理由で相手が裏切らないと信じること」、安心は「裏切っても相手には利益がないと信じること」と説明されていました。一方、「これは良さそうだ」と思った製品を買っても、「買うんじゃなかった」と失敗した経験は多くの人が体験していると思います。この失敗経験を製品の裏切りと考えると、製品に対しても「信頼」と「安心」の区別ができることがわかります。
これを踏まえて、人を製品に置き換えると、製品に対する「信頼」は、様々な情報に基づき「この製品なら買っても裏切られない」と信じることと言えるでしょう。一方、製品に対する「安心」は、「もし裏切られても製品(を販売している企業)の方が損をする」と信じられることとなります。実際によく見るのは、企業が自社製品を保証するという方法です。例えば、電気機器の初期不良品交換サービスは、購入直後から使用できない製品を別の製品と交換するサービスで、交換した製品の料金は企業側が負担することになります。このとき、消費者には「企業は損したくないから不良品を掴ませるようなことはしないだろう」という「安心」が生まれることになります。
保証による安心と担保による安心
「信頼の構造」で定義されている「安心」とは、「身代わり」の存在を信じることによって生まれます。製品を購入する際の「身代わり」は、前述のような製品交換以外にも、金銭や労力、あるいは評判や顧客といったものが使われています。
例えば、自動車を購入する際は、自動車保険に入ります。少額の賭け金を払うことで、もしも事故を起こした際はより大きな金額を企業側に肩代わりしてえます。自動車保険は、将来の事故という不確定性に対して慰謝料の自己負担額を減らし、将来に急な出費が起きえないという確実性に変えて、安心を作り出していると考えることができます。
あるいは、製品を購入しても、将来、製品の利用のときに困ることが起こるかもしれません。もしそのような不安がある場合に備えて、複雑な製品では無料のサポートサービスを提供していることがあります。サポートサービスは、消費者の労力の代わりに、専門知識を持つ人の労力を企業側が肩代わりしていると考えることができます。これによって、「使うときに困るかもしれない」という不確実性を「サポートがあるから困っても大丈夫」という確実性に変えて、安心を生み出しています。
もしくは、すでに確立した有名ブランドの製品であれば、製品を提供する企業はブランドを棄損したくありません。なぜなら、もしその製品が品質問題を起こせば、ブランド棄損によって評判が悪くなり、他の製品にも悪影響を及ぼすからです。これは、消費者が企業に対して評判という人質をとっている状況と考えることができます。このとき、消費者は「企業は評判を悪化させたくない」から「不良品を提供することはない」と確実視することで安心します。
同様に、すでに多くのファンを獲得している製品であれば、製品を提供する企業は顧客を減らしたくはありません。なぜなら、もしその製品がファン要望に背くような変更をすると、ファンが離れてしまい、売上が立たなくなってしまうからです。これは、消費者が企業に対して顧客という人質をとっている状況と考えることができます。このとき、消費者は「企業は顧客が減るのを嫌がる」から「顧客に望まれない製品を提供することはない」と確実性を感じて安心します。
このように考えると、安心を生み出すパターンは2種類あることがわかります。1つは、保証・保険・サポートのように、将来に不測の事態が起きても企業に負担を負わせられることで安心する「保証による安心」です。もう1つは、評判のようなブランド資産や顧客資産のような企業が失いたくない経営資産を人質に取ることで安心する「担保による安心」です。
情報に依存する信頼と経験的信頼
将来どうなるか分からないという不確実性が高い状況を、保証や担保によって不確実性が低い状況に変えることで生まれるのが「安心」でした。これに対して、不確実性が高い状況のまま信じることが「信頼」です。
「信頼の構造」でも言及されているように、「信頼」には情報に依存した信頼と情報に依存しない信頼があります。情報に依存する信頼は、情報源の多様性から複雑になります。そこで、そちらは後述することにして、先に情報に依存しない信頼にについて考えておきましょう。
上記のアサエルの購買行動類型で言うと、特に何も情報を得ずに製品を購入する購買行動といえば「慣性型」の行動が相当します。慣性型の購買行動は、主に「いつも買っているから」という理由で繰り返し購入する購買行動です。この購買行動の場合、「これまで使っていて特に問題はなかった」といった経験にもとづき、新しい情報を得ようとはしません。
これは、経験に基づく一種の信頼が形成されている状況とみることが出来ます。そして、慣性型購買行動は、経験的信頼が形成され、新たな情報に依存しなくなった購買行動、と考えることが出来ます。このことから、情報に依存しない信頼とは経験的信頼であると考えられるでしょう。
評価的信頼と評判的信頼
購買意思決定プロセスによれば、消費者は製品の情報を探索し、製品の評価を行って、製品を購入します。このプロセスで言うと、「これは買ってもいいかな」といった信頼は、製品を評価した段階で形成されています。ここから推察すると、信頼形成には情報の評価が必要だと考えられます。ただし、購買意思決定は消費者自身による最終的な評価が依存しますが、信頼形成の観点では自分自身による評価によって作られる信頼と他人による評価によって作られる信頼の2つが存在します。
自分の評価による信頼(評価的信頼)とは、自分で属性情報や製法、あるいはブランド・ストーリーなどを調べ上げ、他製品との比較評価を通して形成される信頼です。これは、購買意思決定プロセスが想定している評価に相当します。例えば、ノートPCが必要になったとき、Amazon.comで検索(情報探索)し、CPUのモデルやコア数、メモリ容量やSSDの容量、画面サイズ、重さといったスペック情報を見て、だいたい同じスペックのPCをいくつか選択して比較評価をすることでしょう。そして、「この製品が良さそう」という製品への信頼が持てれば、価格と比較した後、購入意思決定を行うのではないでしょうか。もちろん、評価方法には個人差がありますが、大まかには評価方法も類型化されています。
一方、自分の評価だけでは自信が持てず、他人の評価を参考にすることもあるでしょうし、他人の評価をそのまま信じることもあるでしょう。例えば、信頼のおける友人の話やAmazon.comなどのウェブサイトの口コミ、専門家の推薦、広告などで提供された情報、芸能人が使っているといった噂などは、自分で評価したわけでもないのに、なぜか信じてしまいます。しかも、自分の評価と他人の評価が異なっていた場合、多くの人は他人の評価を優先させてしまうのではないでしょうか。従って、こういった評判に基づく信頼(評判的信頼)は、信頼形成に大きな影響を及ぼすと考えられます。
スペック的信頼とブランド的信頼
製品を自分で評価する場合(評価的信頼の場合)、その情報源には定量的な情報と定性的な情報の2種類があります。
定量的な情報とは、前述のノートPCのように、CPUの動作速度や容量、大きさといったような測定可能な情報のことです。工業製品の場合は特に重要で、こういったスペック情報は必ずといっていいほど記載されています。また、加工食品であれば、炭水化物・タンパク質・脂質といった三大栄養素の成分表示や、アレルギー物質の含有の有無といったスペック情報が記載されていることが多いです。このようなスペック情報を見て「この製品は大丈夫」といった信頼を形成していることは、多くの方が経験されていると思います。従って、評価的信頼の1つには、スペック情報による信頼(スペック的信頼)があることが分かります。
一方、信頼を形成する定性的な情報の代表例は、よく知られたブランドの情報でしょう。工業製品の場合であれば、製造元が有名企業であれば信頼しやすく、無名企業だと「大丈夫かな…」と不信に感じることがあるのではないでしょうか。また、生鮮食品であれば、お米なら魚沼産、いちごなら栃木産、お茶なら静岡産、といった産地の情報が信頼に大きく寄与します。このような企業名や産地名は測定可能な情報ではないものの、消費者の評価によって信頼に影響を与えています。言い換えると、企業ブランドや産地ブランドとしての効果を発揮しているとも言えます。従って、このようなブランド情報による信頼(ブランド的信頼)も評価的信頼の1つと考えた方が良いでしょう。
この記事では、ブランド構築モデルのブランド・ビルディング・ブロックのうちブランド・ジャッジメントの部分に焦点を当てていますが、ブランド的信頼の存在は一度構築されたブランドが再びブランド・ジャッジメントに影響を与える相乗効果があることも示しています。
評価者への信頼と評価数への信頼
製品を評判によって信頼する場合(評判的信頼の場合)、肯定的に評価をしている人が誰なのか(評価者)や肯定的に評価している人がどのくらいいるのか(評価数)によって信じるかどうかが変わってきます。
評価者に依存する信頼とは、権威ある人が高評価をしていたり、実体験をした人が高評価をしていたり、有名人が高評価していたりすると信じやすい傾向のことです。例えば、新刊の書籍に著名人からの絶賛の声が載っているのは、権威ある人の高評価による信頼の獲得を狙ったマーケティング施策と考えることが出来ます。また、ダイエット広告などでよく見る、痩せる前と痩せた後を表示してその人のコメントを載せる方法は、実体験者の高評価による信頼獲得を狙っているのでしょう。このように、信頼できる人の高評価には、評判的信頼を高める効果があると考えれます。
評価数に依存する信頼の代表例として、ECサイトにある製品の5つ星マークによる評価結果について考えてみましょう。大抵のECサイトでは、5つ星といった数字とともに、評価者数が表示されていると思います。例えば、星4.5で評価者1人の製品Aと星3.5で評価者1000人の製品Bでは、どちらの製品を購入しようと思いますか?製品Aの場合、「たまたま一人が高く評価しただけかもしれない」と考えて、購入は控えるのではないでしょうか?しかし、製品Aより評価は低いけれども、製品Bは多くの人がそこそこ良い評価をしていると考えられるため、これを見て購入する人はある程度いるのではないでしょうか。このように、特に信頼できる人の評価でなくとも、評価人数が多ければ信じてもらいやすくなります。
まとめ
以上の議論をまとめると、次のような図になります。
この記事では、動的な期待(因果的秩序への期待、機能に対する期待)を考察から外しましたが、こちらも構造化できるかも知れないので、別途考察した方が良いでしょう。
また、情報依存的信頼と弁別した経験的信頼は、経験に基づいて自己評価していると考えられるので、評価的信頼の一部に含めました。
ということで、「信頼の構造」における人への信頼性を、製品への信頼性に置き換えた場合の信頼の構造を考えてみました。
何度も考え直したためだいぶ時間がかかりましたが、ようやくまとめることが出来ました・・・。
最初に書いた通りこれは筆者自身の考えであり、研究によるエビデンスがあるわけではありません。当然、これが絶対の真理だなどと主張するつもりもなく、間違っていれば適宜修正すればいいと思っています。
ですので、マーケティング施策を考える時の参考にでもしていただければいいかなと思います。