信頼の心理学③|信頼の構造と定義

こんにちは。やまもとです。

前回、信頼の謎として山岸が「信頼の構造」で問題提起している3つのパラドックスをご紹介しました。そこでは、常識と常識、あるいは常識と事実を突き合わせることで矛盾が生じていました。事実は変えようがないので、矛盾を解消するには常識に問題が隠されている可能性が高いです。

この問題は、おそらく「信頼」という言葉の曖昧さに原因があるように思われます。

例えば、「信頼は社会的不確実性が高い状況で必要とされる」という常識と「信頼は社会的不確実性が低い状況で生まれる」という常識で使用されている「信頼」は同じ概念を指しているでしょうか?前回の例では、前者は「見知らぬ人への信頼」なのに対し、後者は「見知った人への信頼」でした。この2つの信頼は、同じ概念と考えて良いのでしょうか?

このことから、矛盾を解消するには「信頼」という曖昧な概念を弁別し、常識で使用される信頼がどの信頼に当てはまるのかを考えると良さそうです。

ということで、「信頼の構造」の本論の部分である信頼概念の整理を紹介したいと思います。

信頼の概念構造

山岸が整理した信頼の概念構造は、下図のようになっています。

信頼の構造

これを見ても何のことやら分からないと思いますので、一つ一つどのように弁別されて行ったのかを書いてみたいと思います。

信頼と信頼性の違い

図の頂点には「信頼性」と書かれています。通常、信頼と信頼性は分けて考えることは稀ですが、山岸はこれらを区別しています。ただし、ここで言う信頼性は、人の意図や行動に対する信頼性(trustworthiness)であって、モノや機械に対する信頼性(reliability)ではありません。

例えば、簡単に裏切る人は信頼性がないですし、自分を騙そうとしてくる人には信頼性を感じません。つまり、信頼性(trustworthiness)とは、相手が実際に信頼に足る行動をとるかどうか、相手が実際に信頼に値する人間であるかどうか意味しています。すなわち、信頼性とは信頼される側の特性になります。

これに対して、信頼(trust)とは、相手の信頼性を評価し、自分が実際に信頼できると考えるかどうかを意味しています。すなわち、信頼とは信頼する側の特性になります。この場合も、信頼は信頼する側の特性ということになります。

このような信頼と信頼性の区別が必要になるのは、同じ相手であっても信頼する人と信頼しない人が出てくるためです。

例えば、機械に対する信頼性(reliability)の場合で、その機械の品質・性能に関する情報が80%得られたとします。この時、「80%大丈夫だから、残り20%も大丈夫だろう」と信頼する人と、「残り20%に何かリスクがあるんじゃないか」と信頼しない人がいると思います。このように、信頼性が同じでも信頼するかしないかは信頼する側の特性に依存するため、信頼と信頼性を区別することが必要になります。

このことは、マーケティングの購買意思決定モデルにおける「代替案評価」段階で、商品情報が不足している中でどのようにその商品の評価を行うかという話と通じるものがあります。商品には信頼性が備わっていますが、その商品を「買うだけの価値がある」と信頼するかどうかは消費者が抱くものだからです。もちろん、山岸の言う「信頼性」は人に対するものなので、購買意思決定とは完全には一致しません。

信頼の最も広い定義

山岸は、信頼を定義するために、信頼という言葉のあらゆる用法の共通部分を抽出すると、誰がやっても「世の中には秩序や規則性があって、それらは簡単に崩れることはないと思い込んでいる状態」といったあたりに落ち着くだろうと述べています。これは、ルーマンやバーバーの「自然的秩序および道徳的社会秩序の存在に対する期待」という信頼の定義(Barber,1983)と同じで、信頼を一番広く捉えたものと考えられるそうです。

物理学者の立場からすると「自然の秩序に対する期待」は当然のように存在します。実際、「自然はシンプルにできているに違いない」といった美意識に近い信念や、「自然法則はどこに行っても同じ」といった相対性に関する信念は、証明できないものの思い込んでいました。もっと身近な例で言えば、「明日も太陽は昇るだろう」といった信念があります。

seashore under white and blue sky during sunset
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しかし、これらは「信念」や「確信」といった類のもので、「自然の秩序に対する期待」は「信頼」とは異なるように思います。ルーマンは、信頼を「人間が複雑な現実の情報を、規則性を見出すことで単純化する情報処理のメカニズムの1つ」と考えていたため、「自然の秩序に対する期待」も信頼に含めたようです。実際、物理学は自然の法則性を見出す学問ですから、ルーマンの定義からすると「自然の秩序に対する期待」も信頼に含まれることになります。

山岸は、この立場をとっておらず「自然の秩序に対する期待」を信頼からは除外しています。

なお、「道徳的秩序に対する期待」は、人が法を破ったり、非倫理的な行動をとったりしないであろう期待のことです。例えば、「恋人は浮気をしないだろう」という考えのことを指しています。

道徳的秩序に対する期待の分類

バーバーは、道徳的秩序に対する期待を2つの下位分類に分け、これまでの信頼に関する議論はこの2種類が混同されていたため混乱してきたとしています。

①社会関係や社会制度の中で出会う相手が、役割を遂行する能力を持っているという期待

②相互作用の相手が信託された責務と責任を果たすこと、またそのためには、場合によっては自分の利益よりも他者の利益を尊重しなくてはならないという義務を果たすことに対する期待

山岸俊男著「信頼の構造」第2章(1998)

山岸らは、これらを①相手の能力に対する期待と②相手の意図に対する期待としています。

現在(2021年6月)、COVID-19による緊急事態宣言が出される中、東京オリンピックを開催しようとする政府に対して批判が見られます。この批判は、「たださえ感染者数が抑えられていないのに本当に安全に開催できるのか」という能力に対する不信と、「国民の安全よりも、開催することによる利益または開催を中止することによる損失を優先するのか」という意図に対する不信の両面が原因となっているように見えます。

これらは、批判という結果は同じですが、2つの原因に共通性がほとんどありません。そのため、政府が「安全に開催できる」と能力をいくら主張しても、後者の理由で批判をする人には全く関係ありません。後者には「利益よりも国民の安全を優先する」と主張しないといけないはずです。政府は①相手の能力に対する期待と②相手の意図に対する期待を混同しているのかもしれません。

このように、相手の能力に対する期待と相手の意図に対する期待は、対処方法が全く異なるので区別することが大切です。

ただし、相手の能力に対する期待としての信頼も重要ですが、「信頼の構造」では相手の意図に対する期待としての信頼に焦点を当てることにしています。

相手の意図に対する期待の分類

相手の意図に対する期待とは、「相手が自己利益のために搾取的な行動をとる意図を持っていると思うかどうか」という信頼です。山岸は、この種の信頼も2つのタイプに分けるべきであると述べています。

しかし、信頼の意味をこのように限定した場合にも、まだ、2つの異なった内容が含まれていることに注目する必要がある。相手の意図に対する期待としての信頼にも質的に異なる2つのタイプがあることは、これまでの信頼研究ではほとんど気づかれなかった点である。

山岸俊男著「信頼の構造」第2章(1998)

2つのタイプは、次のようなものです。

  1. 社会的不確実性が存在する状況(相手が利己的に振る舞えば自分が酷い目にあってしまう状況)で、相手の行動傾向についての知識に基づいた人間性評価により、相手が利己的に振る舞うことはないだろうという期待
  2. いくら相手が卑劣な人間であると分かっていても、相手にとって搾取的行動が自身の不利益になる場合、相手が利己的に振る舞うことはないだろうという期待

「相手が利己的に振る舞うことはない」期待という結果は同じですが、2つのタイプはその根拠や状況認知が異なります。前者は相手の人間性や感情の評価に基づいており、後者は相手の自己利益の評価に基づいています。また、前者は「自分が酷い目にあうかもしれない」と感じますが、後者は「自分が酷い目にあうことはない」と感じます。言い換えると、前者は社会的不確実性を感じますが、後者は社会的不確実性を感じません。このような違いから、2つのタイプは区別する必要が生じます。山岸は、前者を「信頼(trust)」と定義し、後者を「安心(assurance)」と定義しました。

「安心」は分かりにくいかもしれないので、マフィアの例を引用しておきます。

例えば、「鉄の掟」が存在するマフィアの世界では、ボスは手下に仕事を任せるにあたって、その手下が高潔な人格の持ち主かどうか、あるいはその手下が自分に本心から忠誠心を持っているかどうかを知る必要はない。自分を裏切った人間はただちに処刑されることをはっきりさせておけば、少なくともボスの力が強力である限りは、ばれないことがよほど確実でない限り、誰もボスを裏切ろうとはしないだろう。この例では、ボスが「鉄の掟」を実行することによって、組織の中での社会的不確実性を消し去っているわけである。

山岸俊男著「信頼の構造」第2章(1998)
mafia boss man hat
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これは、「鉄の掟」とまでは行かないまでも、企業組織でも同様のことが言えるかもしれません。企業が設定する規則と罰則、目標と評価といった掟は、従業員が裏切らないように統制することで、経営者や管理職が「安心」するための仕組みと言えるでしょう。山岸の区別に従えば、これは「安心経営」と呼ぶことができるかもしれません。では、逆に「信頼経営」とはどのようなものなのか考えてみると面白いかもしれませんね。

そして、これが前回示した第1のパラドックスの回答になっています。すなわち、「社会的不確実性がない状況で、信頼が生まれる」のではなく、「社会的不確実性がない状況では、安心が生まれる」ということです。「信頼」と「安心」を混同していたために起きていた矛盾だった分けです。

信頼の分類

上記で定義された信頼は、さらに「一般的信頼」と「情報依存的信頼」に分けられます。

信頼の説明にあるように、信頼とは「相手の行動傾向についての知識に基づいた人間性評価」に基づいており、相手についての情報がないと人間性の評価がそもそもできません。相手の情報が一切ない場合の、言うなれば信頼のベースラインとしての他者一般に対する信頼を「一般的信頼」と呼びます。言い換えると、人間であるという以外に何も分からない相手に対する信頼のことです。これに対して、相手の情報から人間性の評価を積み重ねることで獲得していく信頼を「情報依存的信頼」と呼びます。例えば、相手が医者であるという情報があると、少なくとも医療の場面では信頼してしまうことが多いのではないでしょうか。

そして、この分類が、前回の第3のパラドックス「騙されやすい人は、注意深い」の回答になっています。

一般的信頼が高い人は「他人を信じやすい」ですが、必ずしも「騙されやすい」訳ではありません。この「騙され易さ」は、相手に関する情報から相手の人間性に対して疑問を抱く能力、あるいは自分に不利益が生じるリスクを読み取る能力によるところが大きいです。言い換えると、注意深さや情報処理能力に依存しており、情報依存的信頼(あるいは情報依存的不信)に分類されます。すなわち、「信じやすい=騙されやすい」とする常識が矛盾を生み出していたことになります。

情報依存的信頼の分類

さて、情報依存的信頼には信頼の源となる情報が必要ですが、どのような情報であれば信頼が生まれるでしょうか?

山岸によると、そのような情報には3種類あると述べています。

  1. 相手の一般的な人間性
  2. 相手が自分に対して持っている感情や態度
  3. 相手にとって誘因構造(搾取的行動を取れるか否か)

3番目の「相手にとって誘因構造」は「安心」をもたらすための情報なので、ここでは除外します。

相手の一般的な人間性による信頼

「相手の一般的な人間性」による信頼とは、「あの人は立派だから」とか「あの人は悪い人じゃないから」という考えに基づく信頼です。私たちがそのように考えるのは、どういった場合でしょうか?

まず、相手の情報が直接的情報なのか間接的情報なのかで分けることができます。

直接的情報は、家族や友人や知り合いなどとの直接的関係から得られる情報です。長い付き合いの中で、卑しい行動をとったことがないことを直接的に知っている人に対しては、たいていの人は信頼を持つでしょう。これは、相手の信頼性に対して、十分な情報を持っていると確信していると考えられます。

一方で、間接的情報とは、本人以外から聞いた話や評判、本人の持っている社会的な地位や役割・資格、あるいは偏見やステレオタイプなどの情報のことです。例えば、弁護士と聞くと、司法試験に合格したからことを理由として「悪い人じゃないはず」と信頼する場合は、社会的地位による信頼と考えられます。また、例えば、「男性なら奢ってくれるはず」と女性が信頼した場合は、「男性は奢るもの」というステレオタイプによる信頼と考えられます。

このように「相手の一般的な人間性」の情報に基づく信頼を、山岸は「人格的信頼」と呼んでいます。

さらにその中で、直接的情報や評判などの間接的な情報によって特定の個人についての情報に基づく信頼を「個別的信頼」、社会的地位やステレオタイプなどの間接的情報によって特定のカテゴリーに属する人間についての情報に基づく信頼を「社会カテゴリー的信頼」と呼んでいます。

相手が自分に対して持っている感情や態度による信頼

「相手が自分に対して持っている感情や態度」による信頼とは、相手がどんなに悪い人でも「自分だけは決して裏切ることはないだろう」と考えに基づく信頼です。例えば、「恋人は自分のことが好きだから、決して浮気はしないだろう」というように、「相手が好意的な感情を持っている」あるいは「恋人関係にある」といった情報に基づく信頼のことです。

このことから「相手が自分に対して持っている感情や態度」による信頼を、山岸は「人間関係的信頼」と呼んでいます。


ということで、信頼の構造について外観しました。最後に、信頼の概念構造をもう一度見てみましょう。

山岸は、一般的に使用されている信頼よりは、狭い範囲を信頼と定義していました。自然の秩序に対する期待は、一般に「信頼する」と言いませんので、一般的には「道徳的秩序に対する期待」に対して「信頼」という言葉を使用しているように思われます。そのため、この定義に納得できない方もいらっしゃるかもしれません。

しかしながら、信頼の構造で重要なのは「信頼には種類がある」という認識を持つことだと思います。この認識がないと、同じ「信頼」という言葉を使っているのに、お互いに全く違うものを指していることに気づかず、話が全く噛み合わないことにもなりかねません。

また、信頼の種類を構造化したことによって、「信頼を作るためのヒント」にもなっています。東京オリンピックの例でも書いたように、社会が何に対して不信を抱いているのかを弁別できないと、全く意味のない対処をしてしまうかもしれません。

これをビジネスの面で考えると、これは営業が顧客に信頼してもらうためのヒントにもなることでしょう。確立した企業ブランドがあれば「カテゴリー的信頼」は十分にあるとして、さらに信頼してもらうためには「個別的信頼」や「人間関係的信頼」を確立していかなければならない、といったように使うことができます。このことから、信頼の構造はBtoBのブランド・エクイティの構築や関係性マーケティングにとって、重要なポイントになると考えられます。

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