こんにちは。やまもとです。
前回、「信頼の構造」(山岸俊男著,1998)をもとに、信頼が社会で必要となる理由を記事にしました。
ところで、もし皆さんは「信頼って何?」と聞かれたら、なんと答えますか?
答えにくいのではないでしょうか?
もしかすると、「信頼って曖昧な概念だなぁ」と気付く方もいるかもしれません。
曖昧な概念であるが故に汎用性が高く色々な場面で使われるのですが、信頼に関する様々な常識や思い込みに囚われやすくもなります。
「信頼の構造」では、この思い込みに対する謎を、信頼に関する3つのパラドックス(逆説)という形で問題提起しているので、これを紹介したいと思います。
3つのパラドックス
3つのパラドックスとは、次のようのなものです。これらに違和感を感じたら、あなたも常識に囚われている可能性があります。
- 信頼は信頼が必要とされていない状況で生まれる
- 日本社会はアメリカ社会よりも信頼が低い
- 信頼しやすい人はお人好しではない
では、これらを1つ1つ見ていきましょう。
1. 信頼は信頼が必要とされない状況で生まれる
これは、相反する2つの常識から導かれる逆説です。
説明のために、「社会的不確実性」という概念が必要なので、その定義を引用しておきます。
相手の意図についての情報が必要とされながら、その情報が不足している状態を、社会的不確実性が高い状態と定義することにする。
ただし、(中略)いくら相手の意図についての正確な情報が不足していても、そのことのみによって社会的不確実性がもたらされるわけではない(後略)。
社会的不確実性の存在しない状況、つまり、相手が自分を騙したりしても相手にとって何の利益もないような状況、あるいは相手の考えていることが筒抜けになっている状況では、その相手が信頼できる相手かどうか考える必要などもちろんない。
山岸俊男著「信頼の構造」第1章(1998)
つまり、①リスクの高い社会的状況があり、②相手の意図が分からない場合、社会的不確実性が高いということになります。社会的状況のリスクが低い場合は、そもそも相手の意図を分かる必要がありません。
1-1. 常識:信頼は社会的不確実性が高い状況で必要とされる
経済学で「情報の非対称性」の例えでよく使われる「レモン市場」(レモン=隠された故障のある中古車の俗語)の例を考えてみます。
中古車市場では、買い手は故障の有無を簡単には見分けられません。そこは買い手も心得ていて、故障車を掴まされるリスク込みの値段で買おうと交渉します。一方、売り手は、故障のない車を適正な値段で買ってもらおうと交渉します。
しかし、買い手が売り手の言葉を信用しなければ、売り手は損はできないので、仕入れ値が高い故障のない中古車を販売できません。そのため、見た目の区別できないレモンを販売するしかなくなります。すると、買い手は故障車を掴まされる可能性が高くなるため、ますます安い値段で買おうとします。
結果として、中古車市場にはレモンがはびこり、買い手は中古車を買えなくなり、売り手は客が見つからなくなり、双方にとって望ましくない状態になります。もし、買い手が売り手の言葉を信用していれば、最悪の事態は避けられたはずです。
この例は、①リスクの高い社会的状況(壊れた中古車を掴まされるかもしれない状況)と、②相手の意図が分からない(売り手が本当のことを言っているかわからない)場合になっており、社会的不確実性が高い状況です。
この例から、最悪の事態を避けるために、社会的不確実性が高い状況にこそ信頼が必要ということが分かります。
1-2. 常識:信頼は社会的不確実性が低い状況で生まれる
例えば、交通手段がなく道路も舗装されていなかった頃の山奥の村を考えてみましょう。
そこでは、現在の我々がほとんど無意識に行なっている「外出する時に鍵をかける」といった警戒行動をとる必要がありません。「田舎では鍵をかける習慣がない」という話を聞いたことはないでしょうか。
これは、村の住人のほとんどが顔見知りで、犯罪も滅多に起きず、安定した状況だからです。外出中に誰かが家に入っていたとしても「ああ、いらっしゃい」とむしろ歓迎することもあります。
つまり、安定した状況によって、「他人が家に勝手に入っても、不利益はないだろう」という信頼が生まれ、鍵をかけないという行動につながっていると考えられます。
この例は、①リスクの低い社会的状況(滅多に犯罪が起きない状況)で、②相手の意図がおおよそ分かる(村中の人々が顔見知り)場合になっており、社会的不確実性が低い状況です。
この例からは、長く安定した状況、すなわち社会的不確実性が低い状況があると信頼が育まれることが分かります。
1-3. 矛盾:信頼が必要な時に信頼は生まれない
上記2つの常識を組み合わせると、次のような矛盾に突き当たります。
- 信頼が必要な状況では、信頼は生まれない
- 信頼が不要な状況では、信頼が生まれる
「必要は発明の母」という格言がありますが、信頼に関しては全く当てはまらないことになります。
これは、一体どういうことなのか?というのが1つ目の逆説になります。
2. 日本社会の信頼はアメリカ社会よりも低い
1つ目の逆説は2つの常識の間の矛盾でしたが、2つ目の逆説は常識と研究によって得られた事実との間の矛盾です。
まずは、常識の方から見ていきたいと思います。
2-1. 常識:日本社会は信頼が重要な役割を果たしている
「アメリカは個人主義社会であり、日本は集団主義社会である」という言説は聞いたことがあると思います。あるいは、「欧米のビジネスは契約関係に基づいており、日本のビジネスは信頼関係に基づいている」といった言説を聞いたことがあるかもしれません。
個人主義は、利己主義と混同されがちですが、信頼関係よりも一人一人が自由に振る舞えること重視している印象を受けます。反対に、集団主義は、同調圧力などの負の側面もありますが、一人一人の自由よりも社会・世間などとの信頼関係を重視しているように思えます。
もちろん、これはアメリカが多民族国家であるのに対し、日本が単一民族国家であることが影響しているでしょう。民族的背景が共有できない多民族国家では、自由によって個人の民族的背景にしたがった行動が許容されないと、国家としてまとまることができなかったと考えられます。反対に、単一民族国家では民族的背景を共有でき、かつその背景に基づいた価値観が前提となっているため、一人一人の自由よりも価値観に沿った行動(信頼される行動)をとること重視するようになったと考えられます。
また、欧米のビジネスが契約関係に基づくのは、民族が多かったヨーロッパでは、民族間のビジネスをするのに明文化した契約の必要性に迫られたためと考えられます。これに対し、日本のビジネスは基本的に国内で行われていたため、買い手と売り手が民族的背景を共有しており、わざわざ明文化しなくとも信頼さえできれば取引をしても問題なかったためだと考えられます。
国家やビジネス状況の違いはあるものの、「日本社会では少なくとも信頼が重要な役割を果たしている」という観点が広く一般に受け入れられているのではないでしょうか。
2-2. 事実:日本人よりもアメリカ人の方が一般的信頼のレベルが高い
ところが、日米の比較調査の結果は、アメリカ人の方が日本人よりも他社一般を信頼する傾向が強いことを一貫して示しています。
下記に、研究結果をリストにします。
- 日本人学生212名とアメリカ人学生852名の一般的信頼尺度(8項目)の平均値は、アメリカ人学生の方が高い(Yamagishi, 1988)
- 北海道大学の学生165名とワシントン大学の学生167名の質問紙調査では、アメリカ人の方が「人間は一般に正直だ」という信念が強い(Yamagishi & Yamagishi, 1989)
- 札幌市民とシアトル市民からランダムサンプリングした比較調査では、アメリカ人の方が一般的信頼のレベルが高い(Yamagishi & Yamagishi, 1994)
また、統計数理研究所が行なった質問紙調査(1978年)では、次のような結果が得られています。
質問項目 | 日本人(n=2023) | アメリカ人(n=1571) |
---|---|---|
たいていの人は信頼できると思いますか、用心することにこしたことはないと思いますか(「信頼できる」の回答割合) | 26% | 47% |
他人は、スキがあれば、あなたを利用しようとしていると思いますか、それとも、そんなことはないと思いますか(「そんなことはない」の回答割合) | 53% | 62% |
たいていの人は、他人の役に立とうとしていると思いますか、それとも、自分のことだけに気を配っていると思いますか(「役に立とうとしている」の回答割合) | 19% | 47% |
つまり、調査結果では、他者一般に関する信頼は、アメリカ人よりも日本人の方が低いことを示しています。
2-3. 矛盾:日本社会では信頼が重視されるのに、日本人の信頼レベルは低い
上記にの常識と事実を照らし合わせると、
- 日本社会では信頼が重視されているのに、そこに暮らす日本人は他人を信頼していない
という矛盾に突き当たります。これが、2つ目の逆説です。
事実は解釈変更できないので、おそらく常識の何かが間違っていると考えられます。
3. 信頼しやすい人はお人好しではない
2つ目の逆説と同様に、3つ目の逆説も常識と事実の間の矛盾です。
3-1. 常識:他人を信用しやすい人は騙されやすい
詐欺被害のニュースを見聞きしたりすると、「安易に他人を信用してはならない」と思いませんか?
あるいは、子供の頃「知らない人について行ってはダメ」と教えられてきませんでしたか?
日本の常識では、信頼が重要であると考える一方で、安易に他人を信じてはならないという考えもあります。そのため、他人を信用しやすい人を「世間知らず」だとか「お人好し」だとかやや見下すことあります。
このように考えてしまうのは、他人を信用しやすい人は騙されやすいという常識に由来しています。
3-2. 事実:他人を信頼しやすい人は注意深い
しかし、これは山岸らの研究(情報敏感性、囚人のジレンマ)の結果と異なります。
情報敏感性の実験(小杉・山岸, 1995, 1996)
山岸らは、質問紙を使って「高信頼者」と「低信頼者」に分けられた実験参加者に対して、登場人物が利己的行動をとることができる15の場面(2回目の実験では16の場面)が記載された冊子をわたし、参加者に登場人物が信頼に値する行動を取るかどうかの予想をしてもらうという実験を行いました。冊子には、登場人物が信頼できる人間であることを示すポジティブな情報と、信頼に値しない人物であることを示すネガティブな情報が記載されていました。実験の結果は、次のようになりました。
- 何も情報がない時は「登場人物が信頼に値する行動をとる」と予測する程度(登場人物への信頼性)は、高信頼者の方が高かった。
- ポジティブ情報が与えられると、高信頼者と低信頼者の双方の登場人物への信頼性が上がった。
- ただし、上昇の程度は、高信頼者と低信頼者で大きな違いはなかった。
- ネガティブ情報が与えられると、高信頼者と低信頼者の双方の登場人物への信頼性が下がった。
- 特に、2つ以上のネガティブ情報があると、高信頼者の感じる登場人物への信頼性は、低信頼者よりも急速に下がった。
この結果は、高信頼者の方が人物に関するネガティブな情報に敏感に反応することを示しています。つまり、高信頼者とは、「怪しい」情報がない限りは疑わないが、少しでも「怪しい」情報が得られると急速に慎重になる人間と言えます。言い換えると、高信頼者の方がネガティブ情報に「注意深い」人間だということを示しています。
囚人のジレンマ実験(菊地・渡邊・山岸, 1997)
山岸らは、別の話題で参加者を集め、初めに30分ほどの議論する機会を設けた後、相手が分からない形でペアを組ませ、相手に100円を「渡す」か「巻き上げる」かを決めるゲームを行いました。ただし、一人が100円を「渡す」選択をすると相手には200円入り、「巻き上げる」選択をすると相手は-200円の損失を被るという条件にしました。これによって、囚人のジレンマの状況に陥ります。ペアの利得表を示しておきます。
自分\相手 | 渡す | 巻き上げる |
渡す | -100円+200円=100円 | -100円-200円=-300円 |
巻き上げる | 100円+200円=300円 | 100円-200円=-100円 |
参加者には、「渡す」か「巻き上げる」かの選択の後、ペアの相手を告げ、相手が「渡していた」のか「巻き上げた」のかを予測してもらい、予測が当たると100円のボーナスが与えられました。相手を分からない形にしたのは、参加者同士が一般に信頼できるかどうかを測定するためです。そこで、参加者を一般的信頼のレベルによって「高信頼者」「中信頼者」「低信頼者」に分け、この予測の正確さを比較したところ、次のような結果になりました。
- 低信頼者や中信頼者に比べて、高信頼者の予測の正確さは有意に高い
これは、高信頼者は、30分ほどの短い議論で参加者の情報を集め、相手の行動をより正確に予測したことを示しています。
この実験からも、高信頼者は相手の信頼性を示唆する情報により敏感な「注意深い」人間だということになります。
3-3. 矛盾:騙されやすいはずなのに、注意深い
以上の常識と事実を合わせて考えると、他人を信じやすい人は「騙されやすい」一方で「注意深い」ことになります。
通常は、「注意深い」人ほど「騙されにくい」と考えられるため、この結果は矛盾しているように思います。
なぜ、このような矛盾が生じるのか?これが、3つ目の逆説です。
ということで、「信頼の構造」に書かれている「信頼に関する3つのパラドックス」をご紹介しました。
このパラドックスの解決については、次回に書きたいと思います。
この記事は、だいぶ端折って書いていますので、ちゃんと知りたい方は書籍をご購入ください。