こんにちは。やまもとです。
相変わらず、しばらく積読していた「因果性」(ダグラス・クタッチ2019)の続きを読み進めています。
今回は、操作主義・介入主義の系譜について記しておきたいと思います。この系譜には、因果性に対する次のような中心的認識が根底にあります。
手段としての原因
「因果関係とは、世界を操作・コントロールするために利用できる潜在的な経路である」
「私たちが因果性を気にする主な理由は、しばしば原因は私たちが結果を引き起こす/起こりやすくするための手段になるからである」
「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)
また、因果性が必要となる理由は、カートライトによって「効果的な戦略」と「効果的でない戦略」を区別するためと説明されています。
「効果的な戦略」を説明するための因果性(カートライト)
ある戦略がほかの戦略よりも効果的な理由を説明するには、ほかでもなく因果法則が必要である。単なる「連合法則」(宇宙の歴史的な配置図に見られる統計的関係やその他のパターンを示す法則)では足りない。もっと言えば、たとえ包括的な物理法則(現在の物事の配列にもとづいて未来と過去の姿を確実に示す法則)が存在したとしても、ある戦略が効果的で、ほかの戦略が効果的でない理由を説明するには別の何かが必要になる。それこそが因果法則(因果性を発揮する法則)なのだ。
「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)
操作主義
操作主義が斬新だったのは、因果性にとって行為者性が不可欠(本質的)だと考えたことでした。つまり、完全に因果的な関係とみなすには、そこに〈世界の一部を操作できる〉と言う行為者の能力が関わっていなければならない、としました。そのため、「原因は、対応する結果を引き起こしたり、妨げたりするための取っ掛かりである」と考えていました。
フォン・ウリクトの定式化
操作主義の先駆者であるゲオルグ・ヘンリク・フォン・ウリクトは、原因は「行為者がなしうること」にもとづいて定義されるべきと考えました。しかし、大半の因果関係はほとんど行為者性と関係がない、という批判もありました。そのため、フォン・ウリクトは、以下のように自分の考えを説明しています。
因果性の操作的・実験的な理解(フォン・ウリクト)
「pはqの原因である」と言うこと…が意味するのは、「もし私が(どうにかして)pを引き起こすことができれば、私はqを引き起こせるだろう」ということだ。(von Wright 1971)
私は決して「原因の作用は常に行為によってもたらされる」と言いたかったわけではない。当然、因果性は行為者性と独立に自然の中で作用しているし、人間の干渉がまるで及ばない、はるかなる世界の片隅でも作用している。しかし、因果法則(私たちから時空間的に離れたところで作用するものを含む)を確かめる特有のテストは、科学者の実験室で行われている。しかも、因果法則は本質的に実験室に属している。なぜなら、因果法則は「実験」という様式の行為と概念的に結びついているからだ。(von Wright 1971)
操作によって直接干渉されることのない諸現象(例えば、宇宙の離れた場所で生じている諸現象)のあいだに規則性が認められるとき、手放しに「これらの現象は因果的に関係している」とか「この規則性は因果法則だ」とか言うのはためらわれる。規則性自体は、ミルが「経験的法則」と読んだものに過ぎないからだ。…空間的ないし(地質学や考古学のように)時間的に離れたところの原因と結果に関する知識は、自然法則に関する知識にもとづき「媒介」されている。そしてその自然法則に関する知識は、私たちが実験室で得た十分な実験的証拠に支えられているのだ。(von Wright 1974)
「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)
確かに、考古学などで使用される炭素14年代測定法は、物理学が明らかにした「放射性同位体炭素14の半減期(原子崩壊によって半分が炭素12に変化するまでの期間)」という実験的証拠に基づいています。そのため、一部の原因と結果が「操作的」「実験的」な知識にもとづいていることは、間違いないでしょう。
ただ、フォン・ウリクトの主張の特徴は、これを拡張し、「因果性(全体)に操作的・実験的な概念が組み込まれている」としたところにあります。
利点
この因果理論では、「出来事は原因によって操作することならできるが、結果によって操作することはできない」という真理によって「因果の非対称性」(原因→結果は成立するが、結果→原因は成立しないこと)を説明できます。
例えば、「降雨量が少ないため、水不足が起きている」という因果関係を考えてみましょう。このとき、「もし雨がたくさんが降れば、水不足は解消されるだろう」と推論することはできます。これは、「降雨」を操作して実験を行なったことになります。
では、原因と結果を逆にして「水不足」を操作して実験するとどうなるでしょうか。つまり、「もし水不足が解消されれば、雨がたくさん降るだろう」という推論は正しいでしょうか。これは、全く想像できませんね。従って、逆は成立せず、因果関係は非対称であると言えます。
メンジーズとプライスの定式化
ピーター・メンジーズとヒュー・プライスは、「因果の行為者性説」を唱えました。
行為者性説の原理
「出来事cは別の出来事eの原因である」とは、「cを引き起こすことは、自由な行為者がeを引き起こすための効果的な手段となるだろう」ということに他ならない。(Menzies and Price 1993)
「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)
行為者性説では、この規則にある「自由な行為者」を定義せず、行為者確率を使って、確率上昇を因果性とみなします。ここで、行為者確率とは、「[C]を実現/阻止する能力を持ち、かつ、[E]を生じさせることを最優先の目的とする合理的な行為者なら、当然、計算に入れる確率」と定義されています。その上で、「CからEに向かう因果性の程度」をと算定します。
結局、行為者性説は、確率上昇説に操作主義を持ち込んだ形になっています。
利点
操作主義を持ち込んだことで、行為者性説は、確率上昇説の問題点をいくつか解消しています。
行為者性説は、フォン・ウリクトの理論と同様に、「因果の非対称性」を操作的概念で持って説明することができます。
共通原因による「擬似相関の可能性」の問題は、「2つの出来事の一方を操作しても、他方の出来事の確率が変わらないなら、因果関係ではない」と判定できます。
問題点
行為者性説の最大の問題点は、「行為者性と全く関わらない出来事間の因果関係を説明できない」ことです。例えば、地球が太陽の周りを楕円軌道で回っていることは、人類がいてもいなくても変わらないので、行為者とは関係ありません。
もう一つの問題点は、原理にある「引き起こす」という言葉です。「引き起こす=因果性」と定義してしまうと、定義の循環(因果性を因果性で定義すること)が起きてしまいます。そこで、「引き起こす≠因果性」として定義したいところですが、これが実現できていません。
介入主義
21世紀に入ってからの因果モデル構築を中心とした因果理論は「介入主義」と呼ばれています。これは、この因果理論が「介入」という概念装置を新たに導入したためで、この点が確率上昇説との違いになっています。
因果モデル構築の研究は「因果性を特定するのに役立つ一般的な構造を示すこと」が目的なため、因果関係自体は現行の科学実践(実験・治験など)を通して発見できるとしています。そのため、介入主義は非形而上学的(因果性そのものは追求しない)で、次のような哲学的問題には関与しません。
- 因果性とは究極のところ何なのか?
- 因果法則が本当に存在するのか?
- 反事実条件文の論理をどうのようにモデル化するか?
- 因果性は宇宙に存在する物質の歴史的な配列と基本法則に還元できるのか?
その代わりに、さまざまな科学実践の間に成り立っている多様な結びつきを描き出します。
因果モデル構築
因果モデルとは、「変数の集合(および、変数のとりうる値の範囲)と、変数間の直接的な因果関係を表す一群の構造方程式」のことです。また、その構造方程式は、以下のように有向グラフで描くことができます。
この例は、「因果性」(ダグラス・クタッチ2019)に示されていた珊瑚礁の生物多様性の因果モデルです。
因果モデルに対して、矢印の到達点を左辺、矢印の出発点を右辺として、矢印の結びつきを関数として表したものが因果を表す方程式です。例えば、変数Bには変数PとRから矢印が向いているので、B=f(R,P)という方程式になります。そして、因果モデルを表すのに必要な一連の方程式群(連立方程式)を構造方程式と呼びます。
構造方程式の左辺に登場する変数(一度でも矢印の到達点になる変数)は、構造方程式内部で決定される変数のため、内生変数と呼ばれます。逆に、構造方程式の右辺にしか登場しない変数(矢印の出発点にしなからない変数)は、構造方程式の外から与えられる変数のため、外生変数と呼ばれます。
また、上図において、V→Rは「VはRに対して直接効果を持つ」ということを、V→R→Bは「VはBに対して間接効果を持つ」ということを表しています。
介入
因果モデルが明らかになると、「もし私たちが介入して、内生変数の値を定めたら何が起こるか」ということも予測可能になります。この点が、操作主義の考え方と類似しており、差異形成を確認していることにもなります。
ただし、因果モデルにおいて、介入が満たすべき条件をウッドワード(2003)が示しています。ここでは、上図の因果モデルにおいて、変数Vに対する介入Iの条件を示します。
- Iは、Vの唯一の原因でなければならない
- Iは、Vを通らない経路でBの原因になってはならない
- Iは、Vを通らない経路でBに影響を及ぼす原因の結果であってはならない
- Iは、VからBへ至る因果的な経路に入っていないBの原因と、確率的に独立でなければならない
これを図示すると以下のようになります。
条件1は、変数Vに入ってくる矢印が1本でなければならないことを表しています。介入によって矢印I→Vを追加するため、因果A→Vは削除されなければなりません。A→Vは植物が自然に増減しているときの関係なので、A→Vを削除することは介入によってこの関係が崩れても構わないことを意味しています。
条件2は、上図でいうと、I→Bのような経路が存在しないことを示す条件です。この場合、変数Vへの介入とは呼べなくなってしまいますね。条件3は、上図の場合だと、R→Iのような経路が存在しないを示しています。最後に、条件4は、I⇄Aのような相関関係を排除することが目的です。
利点
因果モデル構築は、これまでの因果理論が説明できなかった点を説明してくれます。
- 一般因果に関する科学研究と明示的に結びついている。
- 1つ1つの因果は、科学的な実験によって確かめることを前提としている
- 因果的説明と密接に結びついている。
- 特定の結果が特定の操作可能な入力と安定して相関している理由を説明したいとき、たいてい私たちは「その結果が生じるのも当然だ」と思わせる不変の構造を見つけたがります。そのような構造を示すものこそ、まさしく構造方程式です。
- 因果モデル構築の研究は、産出説と差異形成説の結びつきを教えてくれる。
- 構造方程式は自然が未来へ向かって進展する仕方(すなわち、ある出来事が次の出来事を産出する仕方)を規則で示し、介入は差異形成関係を定量化する方法示しています。
問題点
- 1つの因果的システムに、複数の因果モデルが当てはまるかもしれない
- 単称因果の構造方程式は、変数の「標準的な値」を定める理論によって補完される必要がある
- L〈雷が落ちる〉、C〈キャンプファイアを放置する〉、F〈森で山火事が発生する〉の構造方程式F=L or Cを考える場合、もしCが「真」であれば、Fはいつも「真」となり「雷があろうとなかろうと、キャンプファイアで火災は発生する」ので「雷が落ちたことは、山火事の原因ではなかった」となってしまう。常識的な判断「雷が山火事の原因だった」を示すには、「キャンプファイアが放置されることは稀」、すなわち「大抵の場合、Cは「偽」である」という標準的な値が必要になる。
- 介入主義は非還元的であり、因果性を非因果的概念で定義しないため、説明できない問題がある
- 因果モデル構築が多くの科学分野で効果的なこと、因果性が未来へ向かう理由、因果モデル構築が効果的でない場合、など
まとめ
まさか、ここで構造方程式モデリング(SEM)が出てくるとは思いませんでした!統計学の方では、因果性を判断するのにSEMを使用することがあるため知っていましたが、ここに繋がるとは思いませんでした。
そして、因果モデル構築と介入は、これまで因果理論の総決算的な内容になっているように思いました。
- 出来事間の一般因果を、因果的活力が不要な科学的実践の結果(一種のパターン)としている点は、ヒューム主義の規則性説に近い考え方である
- 構造方程式による因果モデルは、まさしく因果メカニズムを示しており、因果メカニズム説と関連している
- 因果モデルへの介入は、介入の有無の違い(反事実条件)による差異形成を考えており、反事実条件性説の考え方と結びついている
- 構造方程式によって、ある出来事の原因が複数の出来事の組みであり、しかも異なる経路も存在することは、決定性説におけるINUS条件説と同じ考え方である
- 因果モデルの各矢印が、構造方程式によって定量化されている点は、確率上昇説が確率によって因果を定量化したことと同じ考え方である
ということで、「因果性」における因果理論の説明は終わったみたいです。この本は、たぶん科学者の方々が読んだ方がいいですね。科学だと、方程式や実験で確認できてしまうため、因果性をまともに考える機会が少ないように思います。この本を読むと、「因果関係がある」とは簡単には言えなくなるでしょうね〜。