因果性の哲学③|因果プロセス説と因果メカニズム説

こんにちは。やまもとです。

しばらく積読していた「因果性」(ダグラス・クタッチ2019)の続きを、読み進めることにしました。

いろいろと忘れているので、まず初めにここまでの流れを振り返っておきたいと思います。

もともとは、経営における知のマネジメントをどうするべきかを考えていて、データを知に昇華する階層構造としてDIKWピラミッドを調べました。すると、DIKWピラミッドには、もう1つ「理解」という段階があるという説があることが分かりました。そこで、「人が『理解』するとはどういうことか」について、アリストテレスの「形而上学」を調べました。アリストテレスによると、「理解」とは「『原因はこれである』という信念」のことで、その信念になりうる原因は4つに分類されました。この分類は、直観的には網羅性が高いと思いました。しかし、分類はできたものの、「なぜ、原因と結果が結びつくと思うのか」がよくわかりませんでした。そこで、「原因と結果の結びつき」すなわち「因果性」を調べることにしました。

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因果性について調べてみると、因果にはいくつか種類があり、弁別が必要だと分かりました。種類が異なる因果を混同してしまうと、議論が平行線を辿ったり、話が噛み合わなくなってしまうためです。最低でも、単称因果(1つの事象の原因と結果)と一般因果(統計的な原因と結果)は、区別しないと混乱の素になります。また、根本的な立場の違いとして、「連続する事象のパターンを、人間が因果と認識しているだけである」という立場(ヒュームの因果性)と「人間の認識とは別に、原因と結果を結びつける何か(因果的活力)が存在する」という立場があることが分かりました。現代的には、後者の立場が有力なようです。

さて、因果の種類には、産出的因果と差異形成因果の違いもありました。前者は「原因は結果を生み出すもの」と捉えているのに対し、後者は「原因は結果の違いをもたらすもの」と捉えているという違いがあります。今回は、前者の「産出」の2つの因果説、「因果プロセス説」と「因果メカニズム説」についてまとめてみます。ただし、どちらも産出的因果としては不完全なもので、未だに完全な産出説は存在していないそうです。

産出説の必要条件

まず初めに、因果の産出説が満たすべき条件を記載しておきます。完全な産出説は、次のような条件を満たす必要があります。

  • 因果的活力
    • ある出来事(原因)が別の出来事(結果)を引き起こす
  • 非対称条件
    • 原因が結果を生み出すのであって、結果が原因を生み出すことはない
  • 内在性条件
    • 宇宙の他の場所で何が起きているかということとは独立している
  • 連続性条件
    • 因果の連鎖の各段階は形式的推移性を満たす

ここで、形式的推移性とは「AがBを産出し、BがCを産出するなら、AはCも産出するとみなせる」ということです。

因果プロセス説

起源(因果の伝達説)

因果プロセス説は、物理学者にとっては馴染みやすいことでしょう。

何故なら、起源である因果の伝達説の原理が、以下のように物理学に基礎をおいているからです。

原理(因果の伝達説)

「因果性はある対象から別の対象への物理量が伝達されることを含む」

「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)
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例えば、ビリヤードにおて、あるプレイヤーが白いボールを緑のボールに向けてまっすぐ突き、緑のボールがポケットに入ったとします。これを、因果の伝達説で説明すると、「白いボールのエネルギー運動量が、緑のボールに伝達したためポケットに入った」となります。

すなわち、原因(白いボールが緑のボールに向かって動いた)と結果(緑のボールが動いてポケットに入った)の間には、相互作用(白いボールと緑のボールの衝突)によって、ある物理量(エネルギーや運動量)が伝達するという因果プロセスが存在する、というのが因果の伝達説の主張です。

伝達説では、相互作用の存在が暗に仮定されているため、相互作用がない場合には因果が存在しないことになってしまいます。物理学の言葉で言うと、慣性系には因果が存在しないことになります。しかし、等速直線運動をしている物体は、地点Aにおける位置と速度(原因)が分かれば、その移動方向にX m離れた地点Bを時刻Tに通過する(結果)ことは分かるはずです。伝達説の限界は、この点にあります。

このような相互作用のない因果を「内属的因果」と呼び、内属的因果を含むように伝達説を改良したものが、因果プロセス説になります。

問題(擬似プロセスの区別)

因果プロセス説には、アインシュタインの相対性理論をもとに、次のような反論があったそうです。

灯台からかなり離れた場所に壁を建てると、灯台の光線がその壁面を横切る際、スポットライト(光線が壁面にあたってできた明るい部分)は壁面を光速度cより速く移動することになる(Salmon 1984)

「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)

つまり、相対性理論という物理的制約があるにもかかわらず、因果(スポットライトの移動)が光速度よりも速く伝達のはおかしいという主張です。

物理学者の立場からすると、これは相対性理論のよくある間違いの1つである「群速度と相速度の混同」であることが分かります。群速度(group velocity)とは物体が本当に移動する速度のことで、相速度(phase velocity)とは波の位相が伝わる速度のことです。群速度は相対論的制約(光速度不変の原理)を受けますが、相速度はそのような制約を受けません

例えば、水面の波は、水分子がほぼ同じ場所で回転運動をしているだけで、実は水分子はほとんど移動していません。それにもかかわらず、水面の波は波紋として伝わっていくように見えます。前者の水分子の運動速度は群速度ですが、後者の波紋が伝わる速度は相速度になります。

灯台の例で言うと、灯台から壁に向かって進む光子の速度は群速度ですが、スポットライトの移動速度は相速度です。何故なら、スポットライトの移動は、物体としての光子の移動ではなく、多数の光子が連続的に到達することで動いているように見えるだけの、見かけ上の移動だからです。

因果プロセス説は、このような見かけ上因果に見えてしまう擬似プロセスを区別することが主要な目標だったそうです。

原理(因果の保存量説)

因果プロセス説では、因果性を解明するために、まず、事実や出来事ではなくプロセスに注目し、次に、しかるべき物理量をもっているかいないかで因果プロセス非因果プロセスを区別する、という方針を取りました。「しかるべき物理量」として「マーク」「エネルギーや運動量」「エネルギー」「保存量」などが主張されましたが、現在、最もよく参照されるのは「保存量」だそうです。

因果の保存量説(Conserved Quantity theory)は、次の2つの原理に基づいています。

保存量説の原理

CQ1:因果プロセスとは、保存量をもつ対象の世界線である
CQ2:因果的相互作用とは、保存量の交換を伴う、複数の世界線の交わりである

「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)

ここで、「対象」とは何でもよく、スポットライトも含みますが、群速度に基づく運動量などの「保存量」を持たないため、CQ1によって因果プロセスから除外されます。「世界線」とは、こちらでも書いた通り、対象の時空間上の軌跡のことで、CQ1は因果プロセスが世界線に沿って進むとしています。これにより、相互作用がない場合も因果が存在すること、および擬似プロセスを含まないことを規定しています。

CQ2は、伝達説と同等の主張であり、ビリヤードの例で言えば、衝突前後の全運動量が変わらないこと(個々のボールの運動量は衝突によって変化する)ことを示しています。この「相互作用前後で全体量が変わらない(保存される)」ことが保存量の定義でもあります。

利点と問題点

因果プロセス説の最大の特長は「理論が物理学的に特定できる要素だけで構成されており、客観的である」という点です。しかし、この点が長所にも短所にもなっています。

利点

  • 必要な情報が共有されていれば、人々の因果判断はたいてい一致する
  • 因果性が、人々の主観的な選択に左右されない
  • 統計的な一般因果では判断できないレアケースの単称因果も、常識的な判断と一致した答えが得られる

問題点

  • 理論の中に因果的活力時間的非対称性が含まれていない
  • 客観的にあらゆる要因を考慮するため、重要な要因を特定する選別力に欠いている
  • 原因のどの部分が結果のどの部分に関わったのか、あるいは違いをもたらしのかを特定できない
  • 「しかるべき物理量など存在するのか」といった保存量が必要な理由を説明できていない
  • 相互接触に基づかない因果プロセス(場が媒介する相互作用)を含んでいない

問題点の最後の項目は、物理理論の一つである場の量子論まで考えれば、場も粒子として扱えるので問題ないかも知れません。

物理学と類似性

最初に書いた通り、因果プロセス説は物理学の考え方にとてもよく似ています。

特に、素粒子理論の研究では、粒子の運動(世界線)と粒子間の相互作用の2つを考えて理論的モデルを組み立てます。理論的モデルは、「作用積分(action)」と呼ばれる汎関数積分で与えられます。例えば、下記のような数式です。

 S[\varphi, \psi]=\displaystyle\int\left\{ L_{kin}(\varphi)+L_{kin}(\psi) + L_{mass}(\varphi)+L_{mass}(\psi)+L_{int}(\varphi,\psi)\right\}d\varphi d\psi

ここで、運動項L_{kin}と質量項L_{mass}が粒子\varphi, \psiのそれぞれの運動、すなわち世界線を表します。これが、CQ1に相当します。L_{int}は、粒子\varphi, \psiの相互作用を表しており、CQ2に相当します。

因果メカニズム説

因果プロセス説では、個別の事象レベルに立ち返って、保存量が存在するかどうかを確かめることで、因果性を判断していました。しかし、現実には、そこまで立ち返らなくても、人々は物事の因果性を認識し、社会的にも認められることがあります。

科学の世界でも、あらゆる現象を素粒子物理学レベルまで分解して説明するなんてことは行われていません。実際には、化学的な現象は原子レベルの物理学を使って説明され、生物学や薬学の現象は化学反応を使って説明され、医学的な現象は生物学や薬学を使って説明するといったことが行われています。

このことから分かるのは、科学は階層構造になっていて、1つ下の階層の理論を使って説明することで因果性に納得しているということです。

そして、この事実が、因果メカニズム説のヒントになっています。

メカニズムとは?

簡単な言葉で言うと、メカニズムとは「諸部分同士の相互作用を記述すること」です。

例えば、化学は、ある分子Aと別の分子Bが化学反応を経てさらに別の分子Cになるといった現象を考える学問です。このような現象は、実験室で試薬を使って実験すれば確かめることができます。しかし、実験では、このとき起きている「化学反応」はブラックボックスのままです。この「化学反応」を解明するために、物理化学という分野があります。物理化学では、分子を原子に分解し、原子の物理法則から分子と分子間の相互作用を再構成します。つまり、1階層下の物理学を使って、諸部分同士(分子)の相互作用を記述して、因果性を確かめています。

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このような説明は、別に科学に限ったことではありません。例えば、パソコンで「保存」ボタンをクリックした時に行われる保存処理を考えてみましょう。一般の利用者にとって、保存処理は「電源を切ってもデータが消えなくするため」の行為で、パソコンの中で行われている処理はブラックボックスでしょう。しかし、パソコンに詳しい人であれば、パソコンが中央演算装置(CPU)、主記憶装置(メインメモリ)、長期記憶装置(ストレージ)といった部分から構成されていることを知っていると思います。これらを使うと、保存処理は、

  1. CPUが保存命令を受け取ると
  2. CPUがメインメモリからデータを読み込み
  3. 読み込んだデータをストレージへ転送し
  4. 転送されたデータがストレージへ書き込こまれる

という処理を行っていると説明することができます。これは、CPU・メインメモリ・ストレージという諸部分のデータを媒介にした相互作用と見ることができます。つまり、保存処理のメカニズムと言えます。

哲学的定義

このようなメカニズムの哲学的に正確な定義は、次のように説明されています。

メカニズムの定義

最初の状態から最後の状態に至る規則的な変化産出するよう、組織された存在者と活動(Machamer, Darden and Craver 2000)

「因果性」(ダグラス・クタッチ、2019)

このように、メカニズムは「産出」概念を介して因果性と結びついています。このため、因果メカニズム説は、産出的因果の理論の1つとされています。

また、「規則的な変化を産出する」ことから、この定義は因果的規則性を重視していることが分かります。このことは、単発で発生した稀な物事ではなく、よく発生する物事を問題と捉えていることになります。すなわち、単称因果ではなく、統計的な一般因果を対象としています。犯罪にたとえると、個々の事件の犯人を探しているのではなく、犯罪発生率を高めている要因を探していることになります。

レベルと底

最初に述べたように、科学には、よりプリミティブな学問を使って現象のメカニズムを説明するという階層構造が存在します。因果メカニズムにも、同様の階層構造が存在すると考えられており、これをレベルというそうです。

このレベルを下へ下へと辿っていくと、いつかは「これ以上、部分が存在しない」という状況になるはずです。つまり、「諸部分同士の相互作用」という形で説明できない状況に突き当たります。この状況のことを、哲学者たちは「底をついた」と表現するそうです。

科学の場合、底をついた状況の学問は、素粒子物理学に相当します。なぜなら、素粒子の定義が「これ以上分割できない物質」だからです。逆に、いくつかの部分による構造を持つ物質は、素粒子とは呼ばれません。(複合粒子と呼ばれます)

一方、因果性の場合、底をついた状況が、因果プロセス説で説明できるかどうかは主張が分かれています。サモンは、最下部レベルで通用するのは因果プロセス説だと考え、それによって上部レベルのメカニズムを説明できるとしています。一方、グレナンは「2つの出来事が因果関係にあるということは、それらの出来事があるメカニズムによって適切に結び付けられているということに他ならない」と考え、因果プロセス説に基づく必要はないとしています。

とはいえ、「なぜ〜が起こったのか」という問いに対して、実質的にはメカニズムで説明することでしょう。大抵の場合、質問者も底をついた説明を求めているわけではありません。これは、医者や生物学者、化学者が、素粒子レベルの説明を求めているわけではないことと同様です。

利点と問題点

因果メカニズム説の最大の特長は、メカニズムによって私たちが因果性(正確には因果的規則性)を理解できるという点です。私たちは、因果メカニズムに基づいて解釈し、別の誰かに説明します。ただし、この「解釈」は、個人の主観に依存するため、完全な客観性は失われます。

ただし、多くの問題点もあり、それらを列挙して起きます。

  • メカニズム概念の明確化
    • メカニズムはどの問題に関わり、どの問題にはかかわらないのか
    • 多種多様なレベルの説明が相互にどう関係しているのか
  • メカニズムの哲学的問い
    • 因果的規則性が根本的な実在とどう関係しているのか
  • メカニズムの制約の明確化
    • 局所的な相互作用しか含んではならないのか、遠隔作用も含んでいいのか
    • 因果的規則性は必ずメカニズムを含まなければならないのか
    • 単称因果とメカニズムの関係はどのようなものなのか

まとめ

多くの問題は残っているものの、「人はなぜ理解したと思うのか」という問題に対しては、因果メカニズム説の方が適切だと思いました。なぜなら、多くの人にとって、最下層レベルの説明は、膨大な前提知識が必要だったり、内容が細かすぎて理解に苦しむことになるためです。これでは、「理解した」とは思わないことでしょう。

因果メカニズム説を参考にすると、5階層DIKWモデルにおいて「知識」層から「理解」層へ遷移させるには、

  1. ブラックボックスになっている物事を見つける
  2. 物事を部分へ分解する
  3. 諸部分同士の因果的規則性を下部レベルの法則を使って結びつける

という思考または作業が必要になると考えられます。

そのため、「ブラッボックスな物事とその部分」と「下部レベルの法則」を知識として蓄えておかなければなりませんね。

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