信頼の心理学①|社会でなぜ信頼が必要なのか?

こんにちは。やまもとです。

現在、リモートワークが急速に普及し、社員に目が行き届かなくなってしまったため、「管理を強化する」or「自律性を促す」といった対策がとられています。社員が信頼できなければ前者を、社員を信頼できるのであれば後者を選んでいるのではないでしょうか?

そのため、「信頼」は現在急激に必要性を増していますが、そもそも「信頼とは何か?」が漠然としています。

実は、以前「『信頼』って何なんだろう?」と気になったことがあって、書店で山岸俊男の「信頼の構造」を購入しました。この本の中では、「信頼」の概念を分類・構造化し定義されていて、「あ〜、そういうことかぁ」ととても納得したことを覚えています。

初版発行は1998年ですが、20年以上売れ続けているロングセラーの理由がわかった気がしました。気づきが多いので、もっと多くの人に読んでもらいたいなぁと思います。

この本は、心理学の専門書なので学術書を扱う書店でないと手に入りません。そのため、Amazonで購入してしまった方が確実だと思います。

もう読んでから2年近く経っているため、復習の意味もあって、再読しながら学びのあった点を記録しておきたいと思います。

そもそも信頼がなかったら?

人類は、個体がそれぞれ別個に生活しているわけではなく、民族、国家、街、家族といった共同体を作る社会性を持った生物です。

このような社会の中で、もし「他人を全く信頼できない」人は、どんな生活を送るでしょうか?

本当に誰もまったく信頼しない人は、例えば買い物もできないだろう。他人をこれっぽっちも信頼しない「不信さん」は、受け取った品物に問題がないことを十分に検討してからでなければ代金を払わないが、「料理してみて問題がないことが分かってからじゃなきゃ代金を払わない」と言い張る「不信さん」に野菜を売ってくれる八百屋はめったにいないだろう。

あるいは、この「不信さん」はタクシーに乗ることもできない。運転手が急に強盗に変わらないという保証はないのだから。子どもを学校へ通わせることもできない。教師が子どもを性的に利用しないという保証はないし、通学途中で誘拐されないという保証もない。道を歩いていても、つねにまわりの人々の挙動に注意を払っていなくてはならない。いつひったくりに会うか分からないし、人込みの中でひったくりにあっても、誰も助けてくれないだろう。

他人をまったく信頼できない「不信さん」の生活がどれほど困難なものかは、このような日常生活の様々な場面を思い浮かべれば容易に想像できる

山岸俊男著「信頼の構造」第1章(1998)

このように、他人を全く信頼していない人は、現代社会で生活することはかなり難しくなります。誰とも関らずに、山奥や無人島で自給自足の生活をすることになりそうです。

逆に言えば、社会生活を営む人々は、ある程度他人を信頼して生活しているということになります。スーパーで野菜を買うときは代金を払いますし、タクシーも使いますし、子どもを学校にも通わせています。人込みでも、隣を歩いている人が急にひったくりに変わるとは考えていません。

したがって、信頼には社会生活を円滑にする効果があると考えることができます。

woman standing beside pineapple fruits
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不信が無駄を生み出す

2020年はCOVID-19のパンデミックによって緊急事態宣言が出され、多くの企業がリモートワークへ移行せざるをえませんでした。これにより、これまで職場で顔を見れていた上司と部下、あるいは同僚の存在が遠くなり、特に上司の中に不安を覚える人が少なからずいました。

このとき、不安を解消する方法として、「週報を日報に切り替えて、仕事の内容を毎日報告させる」といった規則の変更が行われた例がありました。仮に、週報の作成に30分かかっていたとして、同レベルの報告を毎日書くとすると30分×5日=150分かかります。120分増えてしまいます。報告は必要ですが生産しているわけではないので、生産性ゼロの時間が120分増えたことになるのではないでしょうか。上司の不安を解消するために一人当たり120分の無駄な時間を増やすことは疑問があります。

では、上司がなぜ不安になったのかというと、理由の1つに「部下が仕事をしているフリをして、実はサボっているんじゃないか」という不信があるからです。そのため、毎日の仕事を厳密に管理できるように細かな規則に変更したわけです。ちなみに、他の理由としては、「健康状態が悪いことに気づけないかもしれない」「実は困っていることに気づけないかもしれない」といった上司の責任を全うできない不安もありました。

このように、不信は細かな規則を生み出し、規則でがんじがらめにすることで無駄を生み出します。「信頼の構造」の中でも、次のように言及されています。

一般にお役所仕事は非効率的で、その原因は役人の怠慢にあると思われているが、(中略)無限とも思えるほどの煩雑な規則によって非効率性を矯正されている点も見逃すべきではない。そしてお役所仕事を非効率的にしているこれらの規則は、役人に対する国民の不信から生まれたものである。つまり国民は、役人を信頼しないことで巨大な無駄を生み出している。

もちろん国民が学者や役人を信頼できないのは、彼らの中に信頼に値しない者がいるからであり、彼らを信頼して税金を自由に使わせれば、国民は彼らに搾取されてしまうからである。全ての人間が信頼に値するよう身を慎んで行動している社会、そして誰もが他人を信頼している社会では、このような規則の生み出す無駄は存在しないはずである。

山岸俊男著「信頼の構造」第1章(1998)

したがって、企業にしろ社会にしろ効率的にしたいのであれば、他人を信頼し、規則を少し緩めることも考える必要があります。


ということで、社会にとってなぜ信頼が必要なのかをまとめまて見ました。

これ以降は、大分長くなりそうなので、複数回に分けて記事にしようと思います。

より詳しくは、書籍を購入してみることをお勧めします。

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