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経営組織論②|人事管理論の成り立ち

こんにちは、やまもとです。

最近、「伊藤レポート」(経済産業省)のおかげで、人的資本経営が注目されています。武田信玄が「国を支える一番の力は人の力であり,信頼できる人の集まりは 強固な城に匹敵する」(参考)という意味で「人は城」と言ったように、経営において人はとても重要な要素です。

ヒトに注目すると、科学的管理法の問題点を解決するために提案されたのが、人事管理論でした。

今回は、人事管理論について調べてみました。

科学的管理法への批判

科学的管理法は、厳密に運用されれば労働者の生産性を最大化し、企業の業績向上につながるものの、多くの場合「厳密な運用」ができませんでした。

1915年に行われたホクシー(Hoxie)らの調査では、「実際の科学的管理法は、その理論上のものと比較したとき、たくさんの多様性と著しい不完全性で特徴づけられる」あるいは「テイラーの制度を十分に、また忠実に表しているといえる工場は、一つとして見当たらなかった」と指摘しています。(倉田, 2008)

実際の運用では、次のような不完全さが露呈しました。(倉田, 2008)

  • 動作研究・時間研究において「標準」の定義方法がなく、工場によって差異があり、無視される場合もあった
  • 科学的な疲労研究は行われず、疲労回復のための余裕時間はほとんど設定されなかった
  • 計画部門は設置されても、素人集団だったり、立場が弱かったりで、計画の主導ができなかった
  • 課業に対する報酬額の根拠がないため、課業に基づく公平な賃金体系には移行されなかった

結果として、科学的管理法は、雇用者による不公平な「賃率引き下げ」を防ぐために考案されたにもかかわらず、実際には「賃率引き下げ」が労働者に黙って行われる場合もありました。

産業心理学の確立

産業心理学は、労働者を対象とした応用心理学の一分野で、科学的管理法よりも少し遅れて1910年ごろ成立しました(倉田, 2008)。科学的管理法が労働の客観的量的側面(身体動作的側面)を扱うのに対し、産業心理学は労働者の主観的質的側面(心理的側面)を扱うものの、「労働の合理化」という目的は共通しています(藤林, 1927)。ただし、科学的管理法が労働者と機械を含む生産全体を対象とするのに対し、産業心理学は労働者のみを対象としており、産業心理学は科学的管理法に内包されるものなのかもしれません(藤林, 1927)。

科学的管理法と産業心理学の大きな違いは、労働者の個人差についての見解です。科学的管理法は、動作と時間を標準化して課業を設定するため、標準化された課業は誰もが同じ時間で同じ質の作業ができることを前提としています。つまり、労働者には個人差がない(いらない)ものとしています。これに対し、産業心理学では、労働者には個人差があると考え、「労働者の職務業績と身体的・精神的諸能力の個人差との関係に注目し、職務と労働者の能力を適合することでその労働者の作業能率を最高にできる」(倉田, 2008)と考えます。この考えによって、「適材適所」(倉田, 2008)という考えが生まれてきます。

産業心理学を確立したミュンスターベルグ(Munsterberg)は、産業心理学の課題は以下としました。(倉田, 2008)

  • 特定の職務に要求される人的資格要件を最も良くみたす最適な人間の発見
  • 各人の最高業績を発揮させる心理学的諸条件の確立
  • 企業にとって望ましい人間精神形成のための方法

これら対して、ミュンスターベルグは、次のような提言を行いました。(倉田, 2008)

  • 労働者の選抜におけるテストの活用
  • 従業員の教育訓練における学習理論の応用
  • 仕事への動機付けと疲労軽減に効果的な心理学的技法の開発

人事管理論の提唱

産業心理学を土台として、ディードとメトカーフは「人事管理(Personnel Administration)」(1920)を出版し、人事管理論の端緒を開きました。この「人事管理」は、ディードとメトカーフの人間観に基づており、それはテイラーの人間観とは異なりました。

組織的怠業を問題視していたテイラーは「労働者は作業を課さなければ怠け、自発的には何もしない存在である」という人間観に立っていました。そのため、科学的管理法では、課業を労働者に課し、金銭的報酬で作業を促進していました。一方、ディードとメトカーフは「労働者は内的衝動を自ら充足するために、怠惰よりも活動を好み、また自発的に行動する存在である」(倉田, 2008)という人間観を持っていました。

ディードとメトカーフは、このような人間観に基づき、人間は10種類の生得的欲求を持っており、それらを開放することで、個人も社会も幸福になると考えていました。その開放された状態が、パーソナリティを発揮した状態であり、当時の(科学的管理法を適用する)産業界ではパーソナリティが発揮できていないことが問題だと捉えていました。そして、労働者のパーソナリティを発揮できるようにするために、人事部門が必要と考えました。(倉田, 2008)

この人事部門は、1920年当時から、次のような多岐にわたる職能を必要とする部門だとされていました。(倉田, 2008)

  • 雇用管理
  • 健康と安全
  • 教育
  • 調査
  • 従業員サービス
  • 労使関係

また、当時の人事部門では、個人差を測定して職務との適合を図るためにさまざま心理学的テストを行っていましたが、現場の労働者の多くはその分析方法を知りませんでした。そのため、「人事管理者は、人々の本性や人間福祉の本質的な内容を知らなければならない」とし、専門家が必要だとしていました。(倉田, 2008)

そして、ディードとメトカーフは、そのような人事部門は独立した機能として、指揮と調整の権限が与えられるべきであるとしました。これは、科学的管理法における計画部門の失敗を繰り返さないためだと考えられます。独立した指揮権がなかった計画部門は、結果として形骸化してしまいました。

人事管理論の問題

人事部門を独立機能とし、人事に関する指揮権を与えてしまったため、経営との乖離が起きるようになってしまいました。

この点を、1950年代にドラッカーによって批判され、職能間の整合性や、経営戦略と人事との整合性の観点で問題視されるようになりました。

まとめ

産業心理学に基づき、人事管理論は、個人差を持つ人と職務の適合を図る人事管理の必要性を説きました。そして、人事管理を専門とする人事部門を各企業に創設させました。これにより、科学的管理法に欠落していた人間の主観的側面を保管することになりました。

しかし、人事部門を独立機能したため、経営管理との整合性が取れなくなってしまいました。

参考文献

  1. 森川譯雄. (2010). 人事労務管理論の史的展開と人的資源管理論. 修道商学50(2), 307-325.
  2. 倉田致知. (2008). 科学的管理法と人事管理学派における労使関係.
  3. 藤林敬三. (1927). 科学的管理法と産業心理学. 三田学会雑誌21(10), 1392-116.

参考記事

科学的管理法の成り立ち

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