組織行動論の1つであるマクレガー(1906-1964)のX理論とY理論は、多くの教科書にも掲載されている有名な理論です。大まかには、X理論が人間の性悪説を前提にした「組織には統制管理が必要だ」とする理論なのに対し、Y理論は人間の性善説を前提にした「組織には信頼が必要だ」とする理論と理解しています。
しかし、この浅い理解ではマクレガーの主張を正しく理解したことにはならないそうで、そのことを山口(1975)が解説しています。
そこで、その文献(山口, 1975)を参考にして、内容を整理・要約してみたいと思います。
Y理論の意義
山口(1975)は、初めにY理論の本質が「組織や管理法によらない一般法則的仮説である」ことを明らかにした上で、Y理論には次の2つの意義があるとしました。
- Y理論では、X理論において原因とされる従業員の消極的回避行動を、「指揮と統制の管理」の結果であると説明し、X理論よりも説明対象を拡大したこと。
- Y理論は、「統合と自己統制の管理」の必要性を説くことで、初めて管理技術の革新の可能性を示したこと。
また、山口(1975)は、Y理論の中には「条件」が含まれ、それが管理戦略を表していることを明らかにし、2つの批判を行っています。
- Y理論による管理戦略は、「統合と自己統制の管理」というよりも「狭義のリーダーシップの管理」である。
- Y理論は、モチベーション論の一つであり、経営組織論というよりも人事管理や労務管理の基礎理論である。
では、これらを詳しくみていきましょう。
X理論とは?
X理論とは、指揮命令型の組織(古典的組織)が暗黙の前提にしている人間行動仮説のことで、「人間は、本来、仕事をしたくない」という仮説です。
マグレガーよれば、古典的組織論は「権限の原則」を基礎として、権限の理由付けための階層化、スタッフとラインの分離などの「指揮と統制の管理」を推奨し、これまで多くの経営管理に影響を与えてきました。しかし、これには被有効性・非現実性といった批判があります。
「権限の原則」が有効に機能するには「強力な懲罰」が必要で、人々は懲罰を避けるために権限を守ろうとします。軍隊であれば軍法会議による「死刑宣告」が、宗教であれば「破門宣告」が、強力な懲罰に相当します。
企業における「強力な懲罰」は、「解雇」が相当していました。ところが、米国では1930年ごろから社会立法の制定・失業手当の制度化・団体交渉権による解雇権の制限・人材流動性の増加などによって、「解雇」は力を失っていきました。日本では、労働基準法による解雇制限によって滅多に解雇が行われなくなり、懲罰としての力はほとんど失われてしまいました。
これに対する管理者の解決策は、新方式・新技術・新手段の探求を試みることでした。しかし、その試みの多くは失敗に終わりました。これについて、マグレガーは次のように述べています。
なぜなら、それらの試みは原因を調整するというより外見的特徴を取り除こうとするものだからである。真に必要なのは革新的な理論(theory)であり、仮説の革新であり、組織における人間行動の本質についての理解を深めることにある。
山口博幸(1975)
つまり、小手先の方法論を変えても意味はなく、前提となっている理論・仮説を変える必要があるということです。マグレガーは、その前提となっている理論・仮説として、「本来、人間は労働を回避したい」という人間行動仮説を提唱し、これをX理論と名づけました。人間行動仮説は、人間というもの全般に関する仮説なので、X理論は経営管理の手法や技法を超えてより広く成り立つ一般的仮説になりました。
X理論によれば、「本来、人間は労働を回避したい」ので、仕事をさせるには「懲罰によって威嚇し、労働を強制し、指揮をして統制しなければならない」ことになります。そのため、マネジメントは「指揮と統制の管理」を行うことになります。
しかし、労働をしたい人間は本当にいないのでしょうか?労働にやりがいを感じることはないのでしょうか?
そんなことは、ないですよね?やる気の出ない時もあれば、やりがいを感じるときもあるのではないでしょうか?
つまり、X理論だけでは、人間行動仮説として不十分だということです。
Y理論とは?
山口(1975)によれば、X理論に代わる人間行動仮説としてマグレガーによって提唱されたY理論は次のようのものでした。
- 労働に肉体的精神的な努力を投入するのは、遊楽や休息と同じく、人間にとって本質的なことである。平均的な人間は本来,労働を嫌うのではな い。操作可能な条件(controllable conditions)のいかんで、労働は満足の源泉ともなり(したがって自発的に.遂行され)、懲罰の源泉にもなる(したがって可能なかぎり回避される)。
- 外的統制(external control)や懲罰の威嚇だけが組織目的達成に向けて努力させる手段ではない。人間はみずから受容した目的のためであれば、自己指揮(self direction)や自己統制(self control)も行使する。
- 目的を受容するか否かは、その遂行にともなって得られる報酬(rewards)に.よってきまる。最も重要な報酬(たとえば、自我の欲求や自己発現の欲求の充足のような報酬)は、組織目的に向けられた努力の直接的成果として得られる可能性がある。
- 平均的な人間は、適切な条件のもとであれば、責任を取るだけでなく、 みずからすすんで引受けようとする。責任回避・野心の欠如・安全第一のことなかれ主義は経験の結果であって、人間の本来的属性ではない。
- 組織の問題の解決のために必要な比較的高度の想像力・くふうカ・創造性ほ多くのひとびとに備わっているもので、一部のひとだけのものではない。
- 現代の企業体制の条件のもとでは、平均的な人間の知的潜在能力はほんの一部しか活用されていない。
山口(1975)の指摘通り、これらは人間行動仮説と条件および現象が混在しており、非常に難解な記述になっています。そこで、仮説・条件・現象を分けてみると、下図のようになりました。
これによれば、Y理論における人間行動仮説は「本来、人間は労働を嫌わない」を根幹としており、X理論を対を成すことが分かります。人間は、受け入れた目的のためなら自律的に行動するし、無茶な条件でなければ責任も取り、創造性に富んだ存在としています。
Y理論における人間は信頼に足る人物なので、威嚇によって行動を統制するよりも、目的の統合によって自己統制を促すことがマネジメントの手段になります。「組織目的と自己目的の統合」は、「満足が生産性を生む」として批判された人間関係論を乗り越えようとするもので、満足と生産性の同時達成を意図するものです。(山下, 2005)
ただし、条件が適切でなければ目的の統合は果たされず、X理論と同様に懲罰による威嚇と指揮によって労働者の行動を統制しなければならなくなります。したがって、Y理論のマネジメントで重要なのは、適切な条件を設定することとなります。
ところが、「適切な条件とは何か?」をマグレガーは提示しておらず、代わりに「統合と自己統制の管理」の必要が説かれているといいます。しかし、「適切な条件の設定」は管理職能を指すが、「統合」(組織目的と自己目的の統合)と「自己統制」は、山口(1975)の指摘の通り、従業員の能力を指しており、「統合と自己統制の管理」は管理職能を表していません。
結局のところ、統合はモチベーションの生起条件を、自己統制は自律的行動を表しており、「統合と自己統制の管理」とは「モチベーションの管理」と言えるのではないでしょうか。これを、管理職能として表現し直すと、「労働者のモチベーションを高め維持するためのリーダーシップの管理」と言え、端的に言い直すと「(狭義の)リーダーシップの管理」となるでしょう。
マグレガーは、狭義のリーダーシップについて、次のように述べているそうです。
リーダーシップとは「部下が自らの目的と企業の目的とを同時に達成できるように、管理者が部下にたいして援助(help)の努力をする」こと
山口博幸(1975)
これは、レビンの「民主的リーダーシップ」や、リッカートの「従業員中心的監督」、現代でいえば「サーバント・リーダーシップ」の考え方に近いです。
X理論とY理論の関係
今回の学びの中で一番大きかったのは、「Y理論はX理論の対立概念ではない」ということです。Y理論は、人間性のポジティブな面に着目し、労働者の積極的貢献行動を促すことを提示しています。しかしながら、同時に、たとえ人間性の仮説は同じだとしても、労働の条件次第では労働者の消極的回避行動を促すX理論に帰着してしまう場合も含まれています。つまり、下図のように、Y理論はX理論を内包していると考えるのが正確だと思われます。
また、Y理論によって発生する現象として「自己実現欲求の充足」がありますが、これは明らかにマズローの欲求段階説を意識しています。マグレガーも、当時の米国社会が「今日では、生理的欲求や安全の欲求は適度に充足されている(山口, 1975)」ためX理論が不要になりつつあり、より高次の欲求を充足するためにY理論が必要になってきていると考えていたようです。
Y理論の批判
しかしながら、Y理論には批判も多くあります。
例えば、「Y理論が機能しない場合がある」という批判では、次のようなものがあります。(山下, 2005)
- 組織が置かれた環境によっては、X理論の方が業績が高く、満足(有能感)も高い(モース=ローシュ)
- ホテルでは、時間給で働く労働者は、金銭で刺激する方が良い(ウィーバー、アレン)
しかし、これらは「Y理論はX理論の対立概念である」という前提に立った批判です。X理論がY理論に包含されると考えれば、ある条件の下でX理論が機能することは、Y理論の範疇に入ります。
ドラッガーによる批判は、Y理論の前提に対して切り込んでいます。Y理論の前提というのは、次の2つです。(山下, 2005)
- 働いている人々の大多数が達成を欲している
- 人々はそのような機会が与えられれば達成のために働く
前者は「人間は自己実現欲求を持つ」こと言っており、欲求段階説からもおそらく間違いないでしょう。しかし、後者の「人は権限を移譲すれば働く」という仮定は、必ずしも成り立つとは言えません。(山下, 2005)
なぜなら、権限移譲は仕事に自由度を与えますが、これは仕事をしない選択も可能にします。そのため、従業員が権限移譲によって達成のために働くには、従業員に「達成のために働く」という意志が必要になります。
ドラッガーは、従業員にこの意志を生み出すのが「責任」であり、「権限の組織化」ではなく「責任の組織化」が必要だとしています。責任の組織化とは、制裁や懲罰によって従わせることではなく、責任を引き受けられるようにすることです。ドラッガーは、「責任を引き受けさせる」ではなく「責任を引き受けられるようにする」と慎重に表現しています。(山下, 2005)
まとめ
人事管理や組織行動論をご存知の方には、X理論とY理論は定番理論の一つだと思いますが、改めて調べてみると理解不足だった点が見つかりますね。今回の場合は、X理論とY理論は対立概念ではないということが、意外な点でした。
また、今回の参考文献は40年以上前のものですが、リアルタイムに議論されていた素材感というか生(ナマ)の感じが伝わってきます。最新の文献は、色々な人の解釈によって食べやすい料理になっていて、素材の味が分からなくなってしまっている気がします。もちろん、どちらも価値があって、状況に応じて使い分けることが肝要です。
参考文献
- 山口博幸. (1975). Y 理論とリーダーシップ—マグレガーの所論の批判的検討—. 香川大学経済論叢, 47(4~ 6), 209-230.
- 山下剛. (2005). PF ドラッカーによる D. マグレガー Y 理論批判:< 組織目的と個人目的の統合> を中心に. 日本経営学会誌, 14, 29-42.