いくつかの記事で人材の歴史的経緯を振り返っていました。
経営において、人間がどう考えられているのかを、主観的なメモとして残しておきたいと思います。
ただし、この記事には、やまもとの思い込みがだいぶ含まれています。
反対意見もあるでしょうし、客観的事実は異なるかもしれません。
素人意見の一つと考えていただければ幸いです。
労働力
- 人間を、与えられた課業を実行する能力と考える
- 結果的に、科学的管理法が助長してしまった
- 個人差や心情は考えず、人間を個人ではなく同一スペックの装置のように扱う
- 装置が摩耗によって性能が落ちるように、人間も疲労によって性能が落ちることは織り込み済み
- 人間に、装置の「稼働率」や「生産性」という言葉が使われるようになった
人事
- 人間は、感情と社会性を持つ存在と考える
- 産業心理学の考え方が取り入れられ、福利厚生などが充実した
- 非公式組織の重要性が指摘されるが、人間関係論は関係性を重視しすぎてしまった
- 労働組合が非公式組織として結成され、対立による経営の非効率化を招いた
人的資源
- 人間は、モノ(装置・設備)やカネ(資本)と並ぶ経営資源の一つと考える
- 本来、経営資源だから大切に扱うことを意図していた
- 実際には「人間をいかに効率的に採取→消費→廃棄するか」と考えられた(特に人材流動性が高い米国で顕著だった)
- そのため、人間は「消費し尽くしたら捨てれば良い」「足りなくなったら補充すれば良い」という取り替え可能な存在となった
- 結果として、人間を石油や鉱物のように考え、「リソース」と呼ぶようになった
人的資本
- 人間は、成長し長期的なリターンを返す存在(=金融商品)だと考える
- 本来、短期的視野狭窄に陥った人的資源の考え方を、長期的視野に戻すことを意図していた
- 人的資本では「投資=教育・人材開発」と考え、人材育成が人事課題になった
- ただし、教育は企業の都合に合わせて行われ、人間は企業が望む人材へと矯正された
タレント
- 人間は、個々に様々な才能を持つ存在(=タレント)だと考える
- この段階で、人材に人間性が加味されてきた
- この考え方には、相反する2つの意図があった
- 「個々の才能に合わせて人材開発すべき」(多様性重視、平等)
- 「企業に必要な才能を持つ人材を抜擢すべき」(多様性無視、不平等)
- タレント・マネジメントは、後者の考え方が次第に主流になった
ピープル
- 人間は、画一的に推量れない多様で社会的な存在だと考える
- 人間性が認められ、人が人として存在することが前提になってきた