創造性の心理学⑦|洞察とは何か?

こんにちは、やまもとです。

創造性について、Runco教授がまとめた書籍「Creativity」を学習しつつ内容をまとめています。

次は、「再構築(リストラクチャリング)」の話だったのですが、中々まとまりませんでした。そのため、一旦テクノロジーに逃げました・・・w。

逃げたからといって内容がまとまるわけではないので、無理矢理にでもまとめてみようと思います。

洞察とは再構築である

前々回の記事で書いた「洞察(インサイト)」は、「再構築(リストラクチャリング)」という考え方で説明されることがあります。洞察と再構築の関係は、次のように説明されています。

これは、最初は問題のある表現に頼っていたために何かを理解できなかったが、その後、その表現を変更して再構築し、新しい情報を考慮に入れたり、何らかの方法でより良い理解や洞察が得られるようにする場合に起こるものである。

『Creativity』Runco, 2014

ここで言う「表現」は、「理解」の言い換えであって、心の中の表現も含みます。

洞察は、「既存の知識構造に新しい情報を組み込み、新しい知識構造を再構築する」というプロセスが無意識のうちに進んでいるうちはほとんど見えませんが、「再構築が完了し、新しい知識構造を理解する」瞬間だけが意識されるため、突然起こったように見えます。

そのため、洞察とは再構築の段階も含めて考えた方が良いでしょう。

例えば、あなたがレゴブロックで城を作ったとします。それに対して、新たに塔を加えたり、城壁で囲んでみたり、建物の高さを2倍にしたり、あるいは建物の1つ取り壊したりするかもしれません。それが、再構築です。「城」という認識は変わりませんが、その表現は劇的に変化している可能性があります。

再構築は、時間がかかる場合もあれば、一瞬で終わる場合もあります。例えば、レゴブロックでも城の増築には時間がかかるでしょう。しかし、城を2つに分割して置くことは、比較的短時間でできるはずです。すると、「2つの建物を結ぶ回廊があってもいいかな?」と考えるかもしれません。このようにして、短時間のうちに、同じ「城」ではあっても、新たな構造に再構築されていくことになります。

このように、再構築とはモデルの変更のようなもので、わずかな変更でも劇的に表現が変わることがあります。

人は意味を見つけたがる

上のレゴブロックで作られた城の写真で、城だけを逆さまに置いたらどう思いますか?

現実の城ではできないですが、おもちゃならすぐできます。「そんなことは、現実ではあり得ない」と拒絶する人もいるでしょうが、「どうすれば、こんなことができるのだろうか?」と創造力を働かせる人もいるでしょう。後者の人は、すでに「逆さまに置かれた意味」を見つけようとし始めています。

書籍では、このような「経験に意味を見出すこと」をゲシュタルト心理学と結びつけて解説しています。

ゲシュタルトは本質的には結果であり、それは全体的で完全な理解のように、意味のある全体である。ゲシュタルト心理学は、知覚のプロセスを説明するために使用されています。重要なアイデアは、人間には経験に意味を持たせる傾向があり、しばしば部分的な情報から意味を構築することができるというものです。

『Creativity』Runco, 2014

部分的な情報から意味を構築する」というのは、星座を考えてもらえれば分かりやすいと思います。

星座はギリシャ時代に人類が考えたものですが、夜空に星座などというものは存在しません。夜空には、点在する星々という部分的な情報があるだけです。しかし、古代の人類は、近くの星同士を線で結び(=ゲシュタルト)、線で結ばれた形に人・動物・道具を結びつけ神話という意味を見出しました。

情報に意味を見つけ出すという性質は、大昔から変わらないという意味で、人間の本質に近いのかもしれません。

洞察は問題解決中に起こらない

別の意見として、「問題解決中には洞察は起きていない」(Weisberg & Alba 1981)という情報処理理論による反論があります。彼らの論文の概要を見てみましょう。

353人の大学生を対象に7つの実験を行い、9点問題や三角形問題などの洞察力を要する問題の解決に固執が果たす役割を検証した。このような問題が難しいのは、Sが問題解決のための根拠のない仮定に固執しているからだと心理学では考えられてきた。今回の研究では、このような思い込みを取り除いたときに、問題の解決が迅速かつ直接的になるかどうかを調べた。その結果、固定観念を取り除いても、問題が迅速かつ直接的に解決されることはなく、固定観念は問題を困難にする重要な要因ではないことがわかった。また、これらの問題では、解決策に関する比較的詳細な情報をSに与えることによってのみ、解決を大きく促進することができることがわかった。これらの問題の解決に関わるプロセスを説明するのに、「固定化」や「洞察」という用語は有用ではないと結論づけ、洞察問題の解決における問題固有の知識の役割を強調した。

Weisberg & Alba 1981

つまり、「洞察」を要する問題解決の主な阻害要因が「固定観念」という考えは間違いで、「詳細情報の不足」が主要な阻害要因だったということです。そして、不足している詳細情報を与えることで、(「洞察」を要するはずの)問題解決に至ることができるため、このプロセスを「洞察」と呼ぶのは適切ではないという主張になります。

しかしながら、これは被験者に詳細情報を与えることで、被験者に「既存の知識構造に新しい情報を組み込み、新しい知識構造を再構築する」というプロセスを促していると考えられます。従って、彼らの実験結果は、瞬間的に起きる「洞察」は否定しているものの、比較的時間をかけて起きている「再構築」を支持していると言えます。

Ohlsson(1984)も、洞察に関する情報処理理論とゲシュタルト心理学が両立することを認めています。しかし、同じ情報を与えても洞察的問題解決に至る人と至らない人がいることから、個人差が重要になるとも指摘しています。ゲシュタルト心理学は、人間という生物が統一的に生来持っている機能を調べる学問なので、個人差を調査するには適切ではないとも認めています。

補足:線形探索としての問題解決

情報処理理論では、問題解決を線形探索として捉え、次のように定義しています。

問題を解決するとは、問題から解決策へと導く行動順序が見つかるまで、選択肢の空間を段階的に進むことである

Ohlsson 1984 , p.65

つまり、最適解が見つかるまで探索空間を漸進的に進む最適化アルゴリズムとして問題解決を定義しています。実は、この考え方は、やまもとの「経営戦略を最適化アルゴリズムと考える」考え方とよく似ています。経営戦略を「問題から解決策へと導く行動順序」と定義できれば、完全に同一の考え方になるかもしれません。

洞察とは「近道」である

洞察の第3の説明として、グラフ理論による説明があります。

購買行動が多様になる理由」でも言及したように、知識構造は大まかに「カテゴリー型」「ネットワーク型」「スキーマ型」「スクリプト型」に分類されます。Shilling (2005)は、ネットワーク型の知識構造とスモールワールド現象から、洞察を分析しています。論文のサマリーの抜粋は、以下の通りです。

以上のことから、

1)洞察とは、ノード(情報の要素または情報の集合)またはリンク(情報のノード間の接続または関係)の追加または変更による表現の実質的な変化または増強である可能性があること、

2)そのような変化は多くの場合、個人が非典型的であると認識する経路に沿って接続を形成した結果である可能性があること、

3)変化の重要性または大きさの認識は、接続の意外性と、それが表現のネットワークにもたらす変化の大きさの両方の関数である可能性があること、

が示唆される。以上の議論と、スモールワールドネットワークの特性に関するグラフ理論の最新の知見を統合することで、なぜある接続が不均衡な報酬をもたらすのかが明らかになり、洞察のための明確な構造的メカニズムが得られた。

Schilling (2005) [pdf]
Runco, Mark A.. Creativity (p.26). Elsevier Science. Kindle 版.

つまり、洞察とはネットワーク型知識構造の再構築(ノードやリンクの追加・変更)によって「非典型的経路(近道)」が見つかった時に起きる表現(=理解)の実質的な(大きな)変化のことです。そのため、「接続(近道)の意外性」と「変化の大きさ」が「変化の重要性」の変数と考えられています。

洞察には時間がかかる

書籍によれば、Gruber (1981, 1988) は、洞察が実際には瞬間的なものではなく、時間をかけて発展するものである証拠を提供しています。Gruberの論文は読めないですが、時間が長引くことは、これまでの議論からも推測できます。

私たちが一般に、洞察とは一瞬にして起きるものだと考えています。しかし、実際には、その一瞬は長い再構築プロセスの最終段階に過ぎません。洞察はその前の再構築プロセスから始まっていると考えれば、洞察は一瞬の出来事ではなく、長い時間をかけて発展するものであると理解することができます。

また、洞察は、「近道」を発見して知識構造の再構築が促進され、新たな理解に到達した後に振り返って「あれが洞察だった」と気づくものなのかもしれません。そのように考えると、一般に「洞察」と呼ぶ一瞬のことは、長い知識構造の再構築(近道の探索から地図の再構築まで)の一時点に過ぎず、実際の洞察は長い知識構造の再構築そのものことと言えそうです。従って、実際の洞察は、長い時間をかけて発展するものだというのも頷けます。

参考

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