人材流動性が高い業界では、市場に転職の機会が存在するため、離職を完全に防ぐことはできません。むしろ、離職が起きることを前提とした考え方が必要になるのではないでしょうか。しかし、現在、人事業界で問題視されているのは「離職率」です。離職率をいかに下げるか、すなわち離職をいかに防ぐかが問題とされているのです。もしかすると、離職されないことが善という前提が間違っているのかもしれません。
このような前提の誤りには、なかなか気付きません。気づくためには、離職率に代わる指標が必要になります。
よく考えると、人材流動性が高いということは、中途採用の機会も増えているということでもあります。それならば、離職率と同時に、中途採用率も合わせて考える必要があるのではないでしょうか。離職率と中途採用率を同時に考える、すなわち人材の流出と流入を同時に考えると、人材の流れ(フロー)をマネジメントしていくことが求められることになります。そのため、新しい指標としては、人材フローを考えると良いかもしれません。
離職率ではなく人材フローに注目されるようになると、従業員を引き止めるために半ば強引に説得するのではなく、会社の魅力が高める方に目が向くようになるでしょう。会社の魅力を高める施策は、説得に要する時間や労力を省けるため、結果的に効率の良い方法になるかもしれません。
人材流動性が高まる背景
日本では法律による解雇規制があるため、米国に比べて人材市場の流動性は低く保たれてきました。しかし、情報通信業を中心としたテクノロジー産業では、高い人材需要を背景としてプログラマーやデータサイエンティストなどの情報技術者の人材流動性が高まってきています。また、情報通信業以外でも事業のデジタル化によって競争優位性を確保することが必須となりつつあり、その他の産業でも情報技術者が必要とされ、今後も人材流動性は高まっていくことが予想されます。
労働生産人口の減少によって引き起こされる人材供給の減少は、求職者の選好性による偏りはあるものの、産業を問わず広く人材流動性を高めることになります。なぜなら、離職しても次の職に就きやすいからです。特に、スキルや資格を必要としない低賃金の職は、労働者にとって在職し続ける価値が低くなりがちで、機会があれば転職することは容易に想像できます。逆に、資格が必要で、資格のための投資してきた費用があり、高単価な士業のような職は、多くの人が職を手放そうとしません。そのため、人材流動性の変化は、基本的には低賃金の職から始まると予想できます。
テクノロジー需要や労働生産人口の減少は今後もしばらく続くと予想されるため、今後しばらくは多くの業界、特にテクノロジー業界で人材流動性が高まっていくだろうと予想できます。
なぜ離職率が問題とされるのか?
人材流動性が高い業界に属する企業が離職率を課題と考えるのは、①経営基盤の弱体化、②人材育成の無駄化の2つの理由があると考えられます。
経営基盤の弱体化は、人への依存度が高い労働集約型産業で特に問題視されることでしょう。労働集約型産業では、スキルやノウハウなど価値創出の源泉が人に強く結びついているため、従業員の退職はそのままスキルやノウハウの喪失になってしまいます。離職率が高いと、組織全体の価値創出能力の低下が止まらないため、問題視されることになります。一方、資本集約型産業では、価値創出の源泉が設備であるため、人の退職による価値創出能力はあまり低下せず、問題視されにくいと考えられます。
人材育成の無駄化とは、長い時間をかけて育成した従業員が退職してしまうと、かけた時間や投資が無駄になると考えることです。日本では、終身雇用制度と年功序列制度により、OJT(On the Job Training)やジョブ・ローテーションによる長期体験型教育で人材育成を行ってきました。長い時間をかけて育成することに長けていたので、未経験者を採用でき、即戦力はあまり求めてきませんでした。数年後に価値を生み出せる従業員になれば良い、という長期的視野を持っていたとも言えます。
しかし、人材流動性の高まりによって、価値を生み出せるようになると退職されてしまうという状況が起こるようになりました。すると、数年間かけて育成したきた時間が無駄になってしまいます。そこで、育成にかけた時間を無駄にしないため、離職を防ごうとしているのです。これは、人的資本の考え方に合わせれば、投資先がリターンを産む前に倒産してしまったようなものです。
以上のような理由から、離職率が問題視されていると考えられます。
人材フローを定義する
まず、今年の期初従業員数を、今年の年間離職者数を、今年の年間中途採用者数をとすると、以下の恒等式が成立することに疑問の余地は無いと思います。
この恒等式は、来年の従業員は、今年の従業員数から離職者数を引いて、中途採用者数を加えた人数に等しい、ということを表しています。ただし、新卒採用者数は、期初の中途採用者数に等しいと考えて、年間中途採用者数に含まれるものとします。
ここで、上記の恒等式を勤続年数(k年目)で分けて考えるとすると、t年度にk年目だった従業員は、t+1年度にはk+1年目になり、恒等式は次のようになります。
ただし、新入社員は0年目の中途採用者と考えることにして、0年目を次のように定義しておきます。
すなわち、恒等式を用いると、1年目の社員数は次のようになります。
また、M年目の社員が次年度までに全員定年退職するとすると、M+1年目の社員数となります。これを恒等式に代入すると、次のようになります。
従って、恒等式には、次のような境界条件を設定することが合理的だと考えられます。
ここで、人材フローを社員数の対前年度増減比とすると、人材フローは次のように定義できます。
人材フローだけでは足りない
実際には、離職数を中途採用数で完全に補完できるわけではありません。なぜなら、退職した人と中途採用した人が全く同じ人ではないからです。例えば、スキルが同じだったとしても、同じ性格だとは限りません。あるいは、スキルと人間性が同じだったとしても、周囲との人間関係が同じではありません。
そのため、退職者と中途採用者を完全に置換することはできず、流出と流入の人数だけで指標を作ることには無理があります。しかし、人間性や人間関係まで変数と考えると、無限の可能性が出てきてしまい、指標化は困難を極めてしまいます。
そこで、人が価値を生産する能力だけを考えることで理論を単純化します。ただし、人は成長もしますので、時間経過に応じて価値生産能力が増大してくと考えることにします。そして、この価値生産能力を合計したものを、人材が資(価値)を産み出すことから人的資産と呼ぶことにしましょう。
人的資産を定義する
勤続年数が長い社員ほど業務経験が多く価値を産み出す能力が高いと考えることとし、k年目の従業員が価値を生み出す能力をとすると、k年目の従業員が成長し、k+1年目の価値生産能力を獲得する様子は、次のように書けます。
すると、t+1年度の全従業員が生み出すことができる価値(人的総資産)は、次のようになります。
これを、人的総資産の漸化式に書き直します。
ただし、、としています。右辺第1項がt年度の人的総資産、第2項がt年度の人材開発増加分、右辺第3項は人的総フロー、右辺第4項は定年退職減少分、右辺最終項は前年に採用した新入社員による価値を表しています。
今後のために
途中ですが、一旦ここで考察を終了します。
この考察での主な主張は、次のとおりです。
- 人材流動性が高い業界では、一定の確率で離職が起こることが前提である。
- 離職率に代わる指標として人材フローを考えてみたが、そのままだと人間の個別性を無視している。
- 人間の個別性を価値生産能力で簡易化して、その総和として人的資産を考えるといいのではないか。
残念ながら、定式化によって何かをうまく予言できるどうかは未知のままです。
今後の課題としては、次のようなことができるかもしれません。
- 人材流動性を変数にした確率分布で、人材フローを定式化する。
- コンピュータシミュレーションができるかもしれない。