因果性の哲学①|単称因果と一般因果

※この記事は、以前、noteに書いたものです。


皆さんは、因果関係をどのように判断していますか?

「物を叩いたら壊れた」というように、物理的な因果は比較的分かりやすいです。しかし、心理的な因果となると、分かるようで分かりません。

心理学的な研究をしていると、因果関係の同定を試みることがありますが、どっちが原因でどっちが結果なのかを決めるのはとても難しいです。

というか、ほとんどできません。

そのため、どうすれば「因果」と言えるのかを調べてみたいと思いました。そこで、下記のダグラス・クタッチの「因果性」を半年前に購入しました。

参考文献
 現代哲学のキーコンセプト 因果性

哲学は学んだことがないので、理解できず放置してましたが、まずは序論だけでも読みつつ、内容を整理して行きたいと思います。

因果性の分類

そもそも、私は因果性に分類があるとするら思っていませんでした。しかし、それが因果性について語るときに議論を混乱させてしまっているので、哲学では因果性を分類しているそうです。下記は、著者の分類です。

  • 単称因果と一般因果
  • 線形因果と非線形因果
  • 算出的因果と差異形成因果
  • 影響ベース因果と累計ベース因果

なんのことだが分からないので、それぞれ順にみていきます。

平等主義的因果性

哲学者は、普通、平等主義的な意味で「因果性」を探究しているそうです。この記事でも、平等主義的な観点が必要になりそうなので、先に確認しておきましょう。

書籍に従って、ここでは平等主義的ではない場合を引用しておきます。

前景因と背景因の区別:「ラクダにワラをのせていったところ、最後にのせた1本のワラが原因でラクダの背骨が折れてしまった」。こう語るとき、私たちはその最後のワラを特に目立つもの、比喩的に言って「前景に立つ」ものと考えている。たとえその最後のワラ1本は、先にのせられていた数千のワラ1本1本と同じ重さだとしても、それらのワラは「背景にある」ものと考えている。

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

近因と遠因の区別:近因は時空間的に近くにあり、遠因は時間または空間において遠くに離れたところにある。たとえば、「ユリウス・カエサルが死んだ原因だった」とは言うが、「カエサルが死んだ原因は彼が生まれたことだ」とは言わない。しかし、よく考えればわかるように、カエサルの死へと突き進む因果連鎖は、まさにカエサルの誕生から始まったのだ。

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

起動因と可能化因の区別:ふつう「火災の原因は雄牛がランプを蹴飛ばしたことだ」とは言うが、「火災の原因は木造の建物が密集していたことだ」とは言わない。しかし事態を正確に描写するなら、「木造建築物の密集が原因で延焼が可能になり、そのせいで火災は都市の大部分へと拡大した。倒れたランプはその起動因(引き金)だった」と言うべきである。

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

このように、私たちは、背景因・遠因・可能化因を「原因」と考えない傾向にあります。これは、あまり重要ではいとか、操作しにくいとか、ありふれているので注目しても埒が明かない、というように実用性に欠けるからです。

逆に、平等主義的「原因」とは、背景因・遠因・可能化因といった原因も考慮するすることだそうです。

単称因果と一般因果

「言われてみれば、確かに」と思ったのが、単称因果と一般因果の区別でした。

書籍の例によれば、その違いを交通事故に例えると、次のような違いになります。

単称因果と一般因果

単称因果は、ある特定の結果の出来事(事故)の原因となった出来事(子どもの飛び出し)の関係のことを言うそうです。正確には、原因とみなせる単称の出来事(居眠り、前方不注意など)をすべて考慮し、単称原因1つ1つと1つ結果との間に成り立つ関係のことを単称因果と言うそうです。

これに対して、一般因果とは、同種の出来事を束ねた出来事タイプ(一般の出来事、例えば交通事故一般)の間に成り立つ関係のことだそうです。

上記の例で考えてみれば、「子どもの飛び出し」があったからと言って、必ずしも「交通事故」が発生するとは限りません。当たり前ですが、車が走っていなれば、事故は起きません。しかし、「子どもの飛び出し」が「交通事故」の確率を高めてしまう、「交通事故」が発生しやすい傾向にある、ということは言えるかもしれません。書籍では、これを、”一般因果とは、ある出来事タイプEと、Eの原因になる傾向にある任意の出来事タイプCとの間に成り立つ関係のことだ”と言っています。

単称因果は、普通、結果が起こってから過去にさかのぼって判断されるのに対し、一般因果は、結果が起こる前に言及することができます。そのため、次のような違いが見られます。

単称因果に関する判断は、「cはeの1つの原因だった」「cが原因でeが生じた」など、過去時制で表現されることが多い。

一般因果(一般の出来事間の因果関係)に関する判断は、「Cが原因でEが生じる」「CはEの原因になる」など、現在時制で表現されることが多い。

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

線形因果と非線形因果

次に、線形因果と非線形因果について、バネ秤に1gの重りを1つずつ乗せていく例が書籍に記載されています。

線形因果と非線形因果

たとえば、1gの重さで1cm伸びるバネの場合、2g分のせれば2cm伸び、5g載せれば5cm伸びます。この場合、結果(バネの伸び)は原因(重量)に比例していきます。このような場合を、線形因果と言うそうです。

もし、このバネの搭載可能重量が100gだったとすると、101個目の重りでバネが切れます。このような、線形関係が崩れた因果関係を非線形因果というそうです。

では、結果(バネの破損)の原因は、101個めの重りでしょうか?

先に乗せた100個の重りは背景因、101個目の重りが前景因ですので、平等主義的には101個の重り全てが原因であり、重りの1つ1つはその部分的原因ということになります。

これは、「どの原因がより重要か」を評価せず、「原因」と「原因でないもの」を区別する平等主義の枠組みでは正しいですが、実用的かという微妙になります。あまりにも多くの出来事が「原因」とみなされてしまい、結局、どうすればいいのかが分からないままになってしまうためです。

社会で起こる出来事のほとんどは非線形因果に属するので、すべて原因を見つけ出すだけでも一苦労しそうですね。

産出的因果と差異形成因果

産出的因果と差異形成因果とは、因果関係を「産出」ととらえるか、「差異形成」ととらえるかの立場の違いだそうです。

因果の産出説
「原因は結果を生じさせる」「原因は結果を引き起こす」「原因は結果を生み出す」「原因は世界を変える」など、因果性は産出的だという点を強調する立場。

因果の差異形成説
「原因は違いをもたらすもの」「原因がなければ、結果は生じなかっただろう」「因果性は世界への介入や原因の操作によって認識される」といった、因果性が影響を及ぼす点を強調する立場。

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

このままだと、よく分からないので、書籍では富の再分配の公平性に置き換えて説明しています。具体的な例で考えた方が良さそうなので、書籍のたとえ話をそのまま引用しておきます。

 さて、昔々あるところに2つの島が並んでいた。一方の島にはポールが1人で住んでいて、小さな釣船を所有していた。他方の島にはビビアンが1人で住んでいて、そこに多数自生するツル植物を繊維素材として採集していた。

 2人が協力しない場合、各自がぎりぎり生存できるだけの食料は集められるが、しばしば空腹に苦しめられる。2人が協力する場合、食糧をふんだんに集められ、年中快適に暮らせる上に、保険として余剰を蓄えることすらできる。このように想定しよう。

 ビビアンは、長い時間をかけて植物製の大きな網を少数こしらえた。そこでポールに協力の交渉を持ちかけたところ、彼は「君が獲った魚の半分をくれるなら、僕の船を貸してあげよう」と提案した。ビビアンはこの提案を受け入れ、深水域から大量の魚を獲った。魚をポールに譲るまえに、彼女は魚を同等分に分けることが本当に公平なのかと改めて考えてみた。

 再考の末、ビビアンはポールに「あなたが半分の魚を得るのは公平じゃない。あなたは何も働かず、私に船を貸しただけなんだから」と主張した。しかし、ポールは「でも僕の船がなければ、君はそんなにたくさんの魚を獲れなかっただろ。僕の船を使ったことこそが空腹か備蓄かの違いをもたらしたんだ」と指摘する。ビビアンも負けじと言い返す。「それはお互い様でしょ。私の網がなければ、こんなにたくさんの魚を捕まえることはできなかったんだから」と。

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

この時、ビビアンが産出的な立場、ポールが差異形成的な立場で、次のように主張することになります。

ビビアン(産出的因果)
「魚の請求権は労働によって獲得されるのだから、労働量に比例して余剰を分配するのが公平だ」

ポール(差異形成因果)
「2人とも自由な主体なのだから、両者がある取引に同意したのなら、それを遵守することこそ公平だ」(労働量の問題ではなく、契約通りに富を分配するべきだ)

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

産出的因果の立場を取る場合、線形因果なら簡単に分配割合が決まりますが、非線形因果だとそうは簡単に決められません。この違いを明らかにするために、下記の公式を考えました。

線形因果の場合の公式
漁獲量 = a(ビビアンの労力+網の効力)+ b(ポールの労力+船の効力)
 ただし、a + b = 1

非線形因果の場合の公式
漁獲量 = a(ビビアンの労力+網の効力)+ b(ポールの労力+船の効力)
      + c(ビビアンの労力+網の効力)×(ポールの労力+船の効力)
 ただし、a + b + c = 1

引用:ダグラス・クラッチ「因果性」岩波書店(2019)

線形因果の場合は、aがビビアンの分配割合に、bがポールの分配割合になります。これは、そのまま労力に比例した(産出的因果による)分配になります。ただし、これでは各自が個別に漁をした場合と同じなので、協力する意味がありません。

非線形因果の場合は、ビビアンとポールの協力によって増えた漁獲量の割合cが存在します。この余剰cを分配するのに、ポール(差異形成因果)は2等分に分けようと言い、ビビアン(産出的因果)は労力に比例して分けようと主張していることになります。

上記は比較的簡単な公式ですが、現実の富の再分配では難しい意思決定になります。その理由は、ほとんどの富は複雑に絡み合った非線形因果によってもたらされ、”ほとんどの場合、因果的責任を分配する客観的な方法など存在しない”という問題に直面してしまうからです。

影響ベース因果と類型ベース因果

この因果性の区別は、哲学研究でもこれまで軽視されてきたものだそうです。そのため、現代の論者はこの立場を明言していない人がほとんどだそうです。

書籍の説明は、私にとってなかなか理解が難しかったのですが、物理学のような古典的サイエンスの因果性と、統計学やAIを中心としてデータサイエンスの因果性との違いに相当していると思います。

古典的サイエンス(影響ベース因果)

物理や化学では、時空間の中にもの(粒子や物体)やもの同士の影響(相互作用など)の強さを運動方程式で表し、ある現象(結果)を再現します。さらに、外部からの操作や介入(外力や媒質の効果の追加)などを加えて、架空の現象(結果)をシミュレートしたりします。言い換えると、原因(もの、影響、操作、介入)が結果(現象)を生み出す具体的な説明(運動方程式)が存在します。

データサイエンス(類型ベース因果)

統計学やAIでは、存在するデータに基づいて因果性をパターンとして認識します。顔認識AIの場合、顔画像を説明変数(原因)とし、人の顔判断データを目的変数(結果)として自動判別器(パターン)を作成します。判別器は、顔画像を与えられると人の顔を判別できますが、操作や介入をしても牛を判別できるようにはなりません。別のパターンを作る必要があります。これは、パターンは「なぜそうなるのか」といった影響を説明できないためです。

書籍の例で言うと、影響ベース因果は(裏づけとなる理論が存在するとして)「1745年4月にたくさん雨が降ったことが、その年の氾濫を生じさせた気象上の出来事だ」と言いますが、類型ベース因果では「この流域は平均すると10年に1回氾濫し、4月の雨量が極端に多いケースに限れば10年に7回氾濫する」といった統計的な言い方になります。

最後に

「因果性」の序論を読みつつ、因果性の4つの区別についてまとめました。

  • 単称因果と一般因果
  • 線形因果と非線形因果
  • 算出的因果と差異形成因果
  • 影響ベース因果と累計ベース因果

これまで、因果関係の種類について考えたことはありませんでしたが、言われてみるとこれらを混同して議論していたように思います。今後は、どの因果で話しているのかを意識してみたいと思います。

まだ、序論だけなので、以降の章も読んだらまとめようかなと思います。

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